鹿児島の男性保育士26歳が、不動産の営業に転職するまで〜①もう頑張るのがつらいから

転職
家賃 光熱費 水道代 携帯代
もう崖っぷち
なんて言うとオレより年配の無職の方に申し訳ないけど

狐火「27歳のリアル」

保育士をやっていた最後の1年間、私はとにかくむしゃくしゃしていた。

鹿児島市内の療育施設で働きはじめた当初は、昔から好きな「子ども」と関われて、生活はできる程度のお給料をもらえて、これなら楽しく続けられると思っていた。残業はほとんどない、休みも年間125日ある職場だったので、体力的にも精神的にも余裕を持って取り組んでいた。

変に自分を追い込むようになったのは、2年目が終わり、3年目に差しかかった9月だった。

頑張っても生活は変わらなかった

自分ができる人間だと思いこむと、さらなる成果を求めて頑張りたくなるのは当然である。

9月、同系列で、運営のうまくいっていない施設への異動を理事長に申し出た。異動が決まり、そちらへ出勤するようになった。すぐに現状を把握してまとめ、職務改善の計画を立て、1ヶ月ごとに反省点を洗い出し、それをもとにまた改善計画を立て、実行した。現場では積極的に子どもたちと関わった。職場の環境を変え、サービスの質を高めることが、誰しもにとっての幸せにつながると思っていた。

半年後には、自分で言うのもかっこ悪いが、かつて大変な状況であった施設に、見違えるような変化をもたらすことができた。

しかしそれは、ある側面から見れば、決して好ましい変化であるとは言えなかった。同じ職場のスタッフと多少揉めたし、保護者の方からのクレームもあった。私が入ったせいで他の人がとばっちりを受けるような異動もあった。あの頃、迷惑をかけた方々には、本当に申し訳なく思っている。

簡単に言えば、私は調子に乗っていたのである。「結果を出す」という、保育士にとってはっきりかたちの見えにくいものを求めて「頑張る」ことが、いかに周囲との距離を広げていたか、溝を深めていたか、そのときはわかっていなかったのだ。

そのころ、さうれぽメンバーであるエヌとの電話で、私はこう言っていたらしい。

「お金がないからイライラする」

頑張れば何かがあると思っていた。一生懸命に、自分の思う理想を追い求めて仕事に取り組むことで、何かが返ってくると思っていた。

そんなことはなかった。いくら施設を立て直したところで、見返りとして、自分の給料に反映されるわけではない。施設が一日に預かれる子どもの定員は決まっているのだから、サービスの内容がいくらマシになっても、量を増やすのには限界がある、つまり収益はいっしょだ。私の頑張りによる収益の変化は起きようもないのだから、私へのインセンティブがないのは当たり前である。

上層部の評価は上がり、自分の名誉欲は満たされるかもしれないが、気分がいいのは一瞬だけで、その先については、また頑張り続けるしか道はない。頑張る人間だと思われたが最後、頑張らないという選択肢をえらぶのは相手の失望をともなう。

頑張ることに誇りを持つには、経済的に苦しすぎた。4月に給与が上がって、手取りがわずかに増えても、ああ、これで月に1回の外食が3回に増やせるな、とか、県民共済に入れるぞ、とか、それくらいの変化しかない。ジムの会員になるとか、車を買うとか、生活が変わるような変化はのぞめなかった。夏1ヶ月、冬1ヶ月のボーナスはいろんな支払いに消えた。好きな文章を書くためのパソコンは分割払いで買っていた。

自分が真面目でコツコツ努力するタイプの人間であることはわかっていた。だから、ここで働いている限り、サボらず頑張り続けるだろう。生活は変わらないのに。目標のない努力を続けていると、気持ちの余裕をなくしていく。かえって楽しくない。もっと楽しくなくなるかもしれない。いつかばからしくなって子どもも自分も嫌いになりそうだ。

気づいたら27歳になろうとしている。このまま保育士を続けるのだろうか。

親友の結婚式にすら行けなかった

いまから2年ほど前、まだ保育士の仕事に熱中していた頃の出来事である。

有給を取り、鹿児島から安い飛行機に乗り、名古屋へ旅行に出かけた。大学時代の友人たちと久しぶりに会うためだ。

18歳の頃、私は鹿児島の高校を卒業し、関西の大学へ進学した。3年生になり、ゼミに入って出会ったのが、ユーダイとタクヤである。私たちは三人で集まってラーメンを食べたり、酒を飲んだり、いっしょに授業を受けたりした。仲が良かった。なんでも話せるし、いまでも連絡を取り合っている。

私は留年したうえ、5年生のはじめに大学を中退した。入学してからずっと続いていた精神的な病気が悪化し、もうどうにもこうにもいかず、缶にためていた飲みそびれた薬を一気に飲んで医者に叱られ、もう大学はやめて地元に帰ろうと決めたのだった。

引っ越し前、段ボールばかりの散らかった部屋にユーダイはたこ焼き器を持ち込み、私の送別会をしてくれた。そのとき撮った何枚かの写真が、いまも手元にある。笑っているのはユーダイやタクヤや、他のゼミ仲間ばかりで、私はにこりともしていない。死にそうな人間の顔だ。

卒業後、ユーダイは、誰でも名前を聞いたことのある大手の食品会社に就職し、転勤で石川に赴任していた。もうすぐ結婚するのだと言う。タクヤは地元の名古屋で就職した。大学中退ののち、ニートやアルバイト生活を経て保育士になった私もいっしょに、名古屋に集まったのだった。

ユーダイは石川から車でやってきた。父から譲り受けたという、古いレクサスに乗っていた。水族館へ行き、外でジャグリングを見た。居酒屋で飲み、ロイヤルホストで休憩した。疲れたのか、タクヤはうとうとしていた。デミグラスソースのかかったオムライスを食べていると、仕事の話になった。私はユーダイにたずねてみた。

「ユーダイ、いま、手取りいくらくらいなの?」

ユーダイは「うーん」とうなったあと、答えた。

「最近、給与明細見てへんからなあ」

その発言は衝撃的だった。毎月、通帳を見つめ、どうやりくりしようかと考えている私の生活とはまったくちがうように思えた。ユーダイは続ける。

「まあ、月々は少ないけど、ボーナスがでかいねんな。営業やし。あとうちは福利厚生がしっかりしてるから」

彼の給与を聞いた手前、私も正直に言わざるをえなかった。ユーダイの前ではアルバイトくらいにしか思えない金額を恥ずかしく思いながら打ち明け、「少ないんだよなあ」と取りつくろうように笑ってみせた。そんな自分がぶざまだった。ユーダイが「いや、そんなこと、関係あらへんよ」と言って話し出した。

「うちは給与はええけどな、大きな会社やから、自分が歯車やと、どうしても思ってまうねんな。現場とつなぐ仕事、って言うたら聞こえはいいけど。しょーもない仕事やで。毎朝、職場に向かうとき、涙が出てくんねん」

本気でそう考えているような話しぶりだった。ユーダイの抱く寂しさに対し、私は、彼のやさしさがこれ以上つまらない生活に削られないでほしいと思った。一方で、甘えるんじゃないよ、と言いたかった。大学をきちんと卒業して、俺よりいい給料をもらって、結婚もする、レクサスに乗っている、順風満帆、そんなお前が文句を言うなよと思ってしまった。しかしユーダイが涙ぐむエピソードも、私が興味本位で手取りはいくらかなどと聞かなければ、出てこなかったはずなのだ。他人をうらやむ気持ちをちらつかせて同情を乞い、切実な悩みをいやらしく引き出しておいて、自分が気持ちよく慰められなかったら相手にやつあたりしている。親友に対してそのような態度を取れる自分が嫌でしょうがなかったし、こうなった以上、もう断絶なしには語り合えない気がして、私たちの関係の一部分の何かが終わったと思った。

タクヤが起きた。

「結婚式するときは、呼ぶわ」とユーダイが言った。そのあと三人でフィリピンパブへ行ったが、私は手持ちのお金がなくてお店へ入れなかった。翌日、アパホテルを出て三人で歩いていると、背の高い女性とすれちがった。タクヤが振り返り、「あれ、昨日のお店の人だよね?」と笑った。

数ヶ月後、ユーダイからLINEがあった。

「◯月◯日、結婚式やります!招待状送りたいから、住所教えて!」

私は住所を送り、会場を確かめ、飛行機を予約した。ホテルはどうしようかな、このスーツでいいかな、とか考えているうちに、わりあいお金がかかることに気づき、計算しなおした。ご祝儀、交通費、宿泊費、その他いろいろ。結果、月の手取りの半分が飛んでいくことがわかった。その月は、固定費を払ってしまうと、生活ができないことになる。

私はユーダイに電話した。

「ごめん、結婚式行けない」

「なんで?どうしたん?」

「本当にごめん。お金がない。必要なお金を計算してみたんだけど、今の俺に出せる金額じゃない。申し訳ない」

「え、お金なんかええで。ご祝儀もなくてええし、交通費も俺らが出すよ」

「うん、でもそれは」甘えてしまえば楽だった。プライドが邪魔していた。「ユーダイ、友達だから。それは申し訳ないよ。本当にごめん」話しながら涙が出てきた。「頑張ってこれだから。一生懸命仕事してこの状況だから、許してほしい」耳に押しつけるスマホが頬の汗で濡れていた。

ユーダイが「そっかあ」と言ったあと、少し間を置いて、笑った。

「しゃあないよ、ちゃんびいの結婚式は呼んでな」

うん、ごめんな。ひたすら謝りながら、悔しさと情けなさで早く電話を切ってしまいたかった。しかし、ええよ、しゃあないやん、大変やもんな、と笑うユーダイのやさしい声を聞いていたかった。自分のふがいなさを棚に上げ、彼の同情を小馬鹿にしたくてたまらなかった名古屋の夜を思い出した。私とユーダイの差は、稼ぐ金ではなく人間性にあるのだと思い、ただひたすらみじめだった。

飛行機をキャンセルした。翌日、理事長に話し、結婚式の日に申請していた有給も取り消した。

後日、久しぶりに会った母が言った。

「そういうことなら一生に一度だから、お金なんかお母さんが貸してあげるのよ。大切な友達の結婚式でしょう。まあ、あなたにもプライドがあるんだろうけどね」

自分を嫌いにはなりたくなかった

そう、私が本当に変えなきゃいけないのは、自分のプライドだった。

自分のエゴで仕事を押しつけがましく進めて、結局は失敗している。かけがえのない友人に心から寄り添ってあげられず、むしろ同情されている。それらすべて、私のプライドの高さが招いた結果なのである。うまくいかないことを、お金のなさ、ひいては余裕のなさのせいにしているが、私が人として未熟で、のぼせあがっているからお金もついてこないのであって、自分自身がこの憎たらしいプライドに折り合いをつけないことには、どうあがいても、どう転んでも、本当の意味で納得などしないのである。

私が本当に変えなくてはいけないのは、仕事の内容でも、月の収入でもなく、私自身だ。平気で他人を馬鹿にしくさる性根を叩き直さなくては、まともな人間にはなれないし、自分を好きでいられない。私は自分を嫌いになりそうだった。それを避けるのはお金より大事なことだった。好きで書いている文章だって、最近停滞している。それは私が停滞しているからだ。

しかし、今の環境では、自分を変えられない。

そう思ったとき、私は転職を決意した。もちろん、仕事を変えることで、経済的に楽になればいいと思ったが……。ここで踏み出さなくては後悔する地点にいると、そう思ったのである。

ということで、これから転職にまつわるあれこれを書いていこうと思う。

よかったら、お付き合いください。

勇気が欲しい
特に上司が活発で生意気な年下でも
余裕で頭を下げられる
勇気が欲しい
月給25万以上 社会保険 できればジムの割引券も欲しい
採用面接前から働いている自分を想像してネガティブにならない
勇気が欲しい
けど、本当は、ひとつのことを信じて続ける勇気が一番欲しい

狐火「27歳のリアル」

ちゃんびい

コメント

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