社会を憂えた君へ①~落ちて、また落ちて、どん底から這い上がるまでの記録~

エッセイ

お前たちはまたあん時のような生活がしたいのか。雨漏りのするバラックで雑炊ばっかり食ってた生活が。わしはもうあんな生活はごめんだよ。あれは人間の生活じゃないよ。みんなだって……猫だってあんな惨めじゃないよ。あんな生活はもう一度できるもんか。貧乏で……貧乏が骨の髄まで染み込んで。貧乏の……貧乏で身体中が汚れちまった。あの生活は人間の生活じゃないよ。

川島雄三監督,しとやかな獣:岩尾文子,船越英二,浜田ゆう子出演,1962,大映

生きていれば、いろいろなことがあります。

働き方も人それぞれ。今回の記事では、わたくしエヌが正社員をクビになってからフリーランスのライター~日雇い労働者~アルバイター~営業へと職を転々としながら過ごした日々のことを書き記していきたいと思います。

クビの宣告は唐突にやってきます

2018年の4月に当時働いていた会社を解雇された。正確に書けば‟協同組合”だった。2017年の11月からの半年、働いていた。

本音を言えば5月末に辞めたかった。5月に入れば、勤続半年を達成し、有休が10日ついた。連休の多い5月に有休を消化してから辞めたかった。けれども現実は甘くない。こちらの魂胆は見え見えだったのかもしれない。

3月の終わりごろ、出勤してすぐに内線がなった。

「エヌくん、4月以降、君を雇うことはありません。契約を解除しますのでよろしくお願いします」

思い当たる節はたくさんあった。あれもこれも全部クビになるには相応の行いだった。一番の理由はなんだろうと考えた。電話を置いたあと、ぼくの上司である事務長がこちらをチラとみた。

「○○さん、ちょっと」

と、同僚の女の子を連れて別室にいった。ぼくがクビになることを伝えにいったのかもしれないなと思った。

ぼくの所属は事務だった。たぶん、好かれてはいなかった。ぼくが入職したときにいた事務の先輩も、事務長とのウマが合わなくてやめた。

ぼくは酒もよく飲むし、ノリも悪くなかったと思う。同僚の外国人には好かれていた。よく飲んでいた。けれど仕事はできなかった。事務的なスキルはほとんどなかった。エクセルのスキルやPCに対するリテラシーとかそういうものではなくて、単純な入力ミスが多かった。「どうせいつか辞める」と腹をくくり、気にもしていなかったが、先手をきられたのは癪だった。仕事を出来ずにクビになった自分が情けなかった。

ともあれ、クビになったからには仕方がない。

時間はたっぷりあった。これを機に旅行をしようと考えた。

クビになったぼくはヒッチハイクに出かけました

というわけで、私は旅に出た。どうせなら、これまで行ったことのない場所に行こう。気晴らしだ。23歳にしては遅い気もしたが、少しでも自分を変えたかった。

憧れの都市パリに行くか、人生で一度は行ってみたいなと思っていた日本の最高神の祀られる伊勢神宮に行くかの2択だった。2時間ほど悩んだけれど伊勢に決めた。海外旅行するのは面倒だなと思ったのである。少ない貯金を切り崩す勇気もなかった。

結果として3泊4日のヒッチハイク旅行となった。人生で一度はヒッチハイクをしてみたかったのだ。この宙ぶらりな状況でないと厳しいし、何より年を取ってからでは誰も乗せてくれないと思ったのだ。

(結構いろんな体験が出来たので、この時の話はまた別の記事でも書きたいところ。とりあえず、目的地である三重県は伊勢市の思い出を少し)

……当時使用していたスマホが故障した関係で写真は一枚も残っていない。いろ~んな働き方の人と関わり合い、伊勢市でちょびちょびと日本酒を飲んだ。

伊勢神宮の近くには、おかげ横丁という観光地としての商店街がある。観光地として整備されてまだ日が浅いようで、街のところどころに、古くからその町で営業している居酒屋やうどん屋もあった。

わたしがふらっと立ち寄った居酒屋は古くから営業していた居酒屋だったようで、店に入ると店員さんが出迎えてくれた。店員さんは鹿児島から来た田舎のヒッチハイカーに興味を持ってくれた。その店はサメを出してくれた。

「わたし、ヒッチハイクしてる人はじめて会いました。すごいですね」

「いやいや、そんなことないですよ。旅費ケチってるだけ。○○さん(店員さんの名前)は旅行とか行かないんですか?」

「私ですか、私は今度大分に母と旅行に行くんです。温泉につかろうと思って」

「いいっすねえ、肌つやつやっすよ~よかったら記念に一枚一緒に撮りましょうよ」

その店員さんは本当は前月に退職していたらしいけれど、GWの忙しさを理由にヘルプを頼まれたらしい。律儀な子だった。年は私の一つ下だった。それからいろいろ話をした。小学校から大学までを鹿児島で過ごした私には、九州外の友人は数えるほどしかいない。ちょっとした言葉の使い方や、その人の生活している町の様子が伺えて楽しかった。

旅行者だからだろうか、旅先で関わる人たちは鹿児島にいる人よりもフレンドリーな気がする。けれどやっぱりそれは気のせいで、旅の陽気にあてられていながら、急に卑屈な自分が出てくると嫌な気分になる。

……伊勢市を後にしようと、一般道でヒッチハイクをしていると、東京からきた二人組の若い男性の車に乗った。ベンツのSクラスだった。二人とも、やんちゃしてそうな恰好をしていた。彼らは伊勢市のイオンの前でスケッチブックを広げているぼくの前で停まった。

「あ、どうもすみません。いやぁ、ベンツに乗せてもらうなんて。ありがとうございます」

「せやろ、経費で買ってん。これ、飲む?」

助手席の男からスーパードライを差し出された。

「うわっ、ありがとうございます。いただきます」

「おいっ、お前も飲むか?」

助手席の男は運転手にそう言いった。

「これ以上飲んだらまずいから、ははは」

そうして、三重のサービスエリアで降ろしてもらい、彼らは東京に帰った。ぼくは乗せてもらえる車が見つからず、サービスエリアで一夜を過ごして奈良から関西国際空港へと移動した。疲労が溜まっていたこともあり、帰りは飛行機に乗った。鹿児島へ帰ってきた。

いい思い出であった。

伊勢への道中、三重から伊勢まで連れていってもらった中年男性に言われたことがあった。

「君はフランスと伊勢で悩んでいたというけれど、今回は伊勢に来て正解だったよ。悩んだりする人の一つの指針を示してくれるのが伊勢神宮なんだ」と。

その男性は、デートの下見に伊勢神宮へ来たらしかった。出身は宮崎だという。

しかしまぁ、コロナ禍の現状を顧みてもパリに行っておけばよかったなと思うのであった。

伊勢神宮
「お伊勢さん」と親しく呼ばれる、伊勢神宮の公式サイト。正式には「神宮」といい、2000年の歴史を有する日本人の「心のふるさと」です。
伊勢内宮前 おかげ横丁
おかげ横丁は伊勢神宮へのおかげ参りブームが起こった江戸から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現、三重県や伊勢地方の魅力を凝縮しています。老舗の味から名産品、歴史や風習、人情まで一度に体感でき、食べ歩きやショッピングも充実。催しものや新着情報は要チェックです。

黄金のフリーランスへ

ヒッチハイクから帰ってきた1週間後、それまで小遣い稼ぎ程度に使用していたクラウドソーシングサイトの活用をはじめた。人と働くことは自分には難しいだろうと感じたからだ。自分だけのルールを作り、何に縛られるでもないフリーランスという仕事への憧れが人一倍あった。

主にライターの仕事を請け負っていたが、バナーの作成やインタビューの文字おこし、それから人には言い難い仕事もいくつかやった。(ハッテン場の取材とか)

正社員として働いていた4月までは月の副収入は5万がいいところだったが、クビになった5月からの報酬は10万円程に増えた。‟これはいける!”と当時のぼくは思った。

6月には15万になり、7月には25万になった。5月には当初住んでいた実家を離れ、鹿児島大学の近くに越した。大学の図書館で仕事をし、その日のノルマを終えたら本を読み、文章を書いた。

鹿児島大学の図書館は8時30分から21時30分まで解放されている。そこでぼくは仕事や趣味の読書をし、お昼時には自宅でご飯を作って食べた。悪くない生活だった。

ところが、ある時から気づいたことがあった。「収入がこれ以上増えない」と。25万を稼いだ月が2月はあったが、精神的にきつかった。7月と8月である。うろ覚えだが、7月にちゃんびいと会い、8月に飲みに行った気がする。その頃がライターとして働いていた最後の時期だった。9月の収入は10万を切った。

フリーランスなので、自分で仕事を見つけて、価格の相談をし、納品しなければお金はもらえない。このうちのどれか一つでも怠れば一瞬で収入を失う。ぼくはこの3つ全てをさぼった。次第に書く仕事を辞め、アルバイトをすることになる。当初は‟これも一時的なものだから”という理由で日雇いのアルバイトをはじめた。最初のほうは、ホテルの配膳やベッドメイキングの仕事が多かったと思う。月の稼ぎは10万にも満たなかった。週に3~4日働き、残りは1日中図書館にいた。大学時代の先輩が鹿児島大学の大学院に進学しており、黒シャツにクロックス姿のぼくを見たことがあったとそれからしばらくして聞いた。

「みすぼらしくないですか、それ?」とぼくは笑いながら聞いた。先輩は言った。

「う~ん、いやあ、なんか声かけちゃダメかなって、そんな感じ」

輝かしいフリーランス時代を象徴する一言であった。

そうしてぼくはライター業を廃業した。

楽しいぞ、日雇い労働!!

日雇い労働の思い出-ホテル編

9月の半ばから11月の上旬まで日雇いのアルバイトを続けた。

ホテルの配膳、ベッドメイキング、皿洗い、宴会のボーイ、現場仕事、よくわからないゴミの廃棄、交通量調査、山奥の工場で立っておくだけの仕事、等々いくつかの仕事をした。

当たり前のようでもあるが、ホテルの仕事と現場仕事的な肉体労働が多かった。私は3つのホテルで働いていた。その時のエピソードを少し。

鴨池港近くのホテルで朝食の配膳をしたときのことだった。味噌汁のつぎ方にも順番があるらしく、それを怠ったぼくはそのホテルのアルバイトに鬼のように怒られた。

「ちょっと、これだから〇〇(ぼくが働いていた派遣会社)の人は」

と何を教えてくれるでもなく黙々とぼくの仕事を代わりにやっていた。おそらく、‟こいつの仕事を奪ってしまおう”という魂胆であったと思う。日雇い労働の中でさえ、自分は不要であると蔑ろにされていい気などしない。

もしかすると、そのアルバイトの人は派遣のぼくの仕事を奪い、出来ない派遣<出来る自分=必要とされている自分、という構図を保っていたのかもしれない。そう思うと、少しはやさしい気持ちになれた。

一方おばちゃんはというと、とても丁寧に仕事を教えてくれた。間違えても強く叱ったりということはなく、自分にも適度に仕事を振ってくれた。「あの子はああいう子だから」とあとで教えてくれた。

……もちろん、‟若いアルバイトは厳しくおばちゃんは優しい”という話ではない。従業員のすべての人が親切なホテルもあった。何度も働いたけれど、嫌な気分になったことは一度もなかった。オーナーと会ったこともあったけれど、とても感じが良く、感謝している。照国神社前の『吹上壮』というホテルなので、県外から来られる方がいらしたら泊ってみてほしい。

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日雇い労働の思い出ー現場仕事編

肉体労働現場の思い出、というかネタはたくさんあるが、ここでは一つだけ取り上げたい。

それははじめて現場仕事に入った時のことだった。

「俺ってよ、もともとは夜の仕事をしていてさ」

と、それほど恰好良くはない、ガタイの良い男性が言った。30代も半ばだろうか。

「だから、昼間から酒を飲んでも酔わないんだ」

霧島市の現場だった。隣にはダイレックスがあって、はじめて会ったぼくにも弁当をおごってくれた298円だった。男はストロングゼロ350ml缶を2本買った。

「ほら、おめえ、これ飲めよ」

「いや、午後からも仕事じゃないですか」

「ほら俺、夜の仕事してたから」

そういって、男はストロングゼロを飲み始めた。

「内緒やで」

「これ飲めよ」と勧められていたストロングゼロ缶も男が飲んだ。酔っぱらっている様子はなかったが、同じ酒飲みとして惨めな思いだった。自分も酒を飲む瞬間はこれほど惨めかもしれないと。

午後からの仕事は陽が照っていてきつかったが、男は平気な顔をして働いていた。

1年後の自分を見ているようだった。

その日得た給与は近所の居酒屋で全額使った。居酒屋には誰もいなかった。客はぼくひとりだった。

「北海道から最近越してきたんです、教育系の会社で働いていて……」と嘘をついた。ナカムラとか、なんとか偽名を使って、その場をしのいだ。居酒屋にはぼくひとりしかいなかった。帰り、残ったコメとからあげをもらった。残り物らしかったが、自分にはもったいないと思った。

おわりに

その次の日から、家から少し離れたところにあるコンビニでアルバイトをはじめました。

「求人を募集していますか?」と、聞いたら「しています」と言われたのでその場で履歴書を書いて面接をして日雇い労働者からアルバイターへと転身を遂げたのです。

そこから就職をするまでの4か月を、次は書きたいと思います。

それでは、また。

エヌ。

過去を忘れなくちゃ。自分の垣根をしっかりと作って。他人を誰も入れないようにしなくちゃ。誰にも邪魔をされない、私だけの城を作らなくちゃ。さ、急がなくちゃ。真っ黒いカラスたちを追っ払ってしまわなくちゃ。

川島雄三監督,しとやかな獣:岩尾文子,船越英二,浜田ゆう子出演,1962,大映

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