社会を憂えた君へ②~落ちて、また落ちて、どん底から這い上がるまでの記録~

エッセイ

みんな…大人になったんだよな…そんなに高望みもせず…おのれの力を過信せず…

……日々のきびしい生活の中で……自分はヒーローなどではなかったのだと…わかってしまったということか……

それとも最初からそもそもそんなこと考えてなかったのかな…

福満しげゆき『僕の小規模な失敗』株式会社青林工藝舎、2005年9月

前回の記事では、わたくしが協同組合の正社員をクビになってコンビニのアルバイトとして勤務するまでを書きました。

今回の記事では、コンビニのアルバイトをしながら就職活動をしていた頃のことを書いていきます。そんなに長くないので、どうかお付き合いください。

コンビニのアルバイトはたのしいよ

桜ヶ丘のコンビニでアルバイトをはじめた。

24歳になっていた。この年になってもアルバイトをしている自分を、高校生の自分が知ったらどう思うだろう。フリーターだけれど、夢を追ってはいなかった。土日祝日休み年間休日120日以の求人を漁る日々だった。やりたくない仕事はあったがやりたい仕事はなかった。

15歳の頃にギターをはじめて、その年から曲作りをはじめた。はじめた理由は単純だった。aikoが好きだったのだ。音楽を作って有名になればaikoと友達になれると本気で信じていた。受験に失敗し、それまで取り組んでいた部活(柔道部に入っていました)も辞めたぼくの支えはaikoだけだった。

曲がどうこうではなくて、そのキャラが好きだった。特番で組まれたオールナイトニッポンのオープニングで、飴を舐めるASMRを流していた。一瞬でファンになった。感謝しかない。

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aikoのオフィシャルウェブサイト。新譜、ライブ情報、ファンクラブ情報など掲載しています。

……そのうちに当時流行っていたロックバンドにはまって音楽の趣味は変わっていった。スクールオブロックというラジオにはまり、数多いるロックキッズの一人となった。フリーソフトのリズムマシン(パーカッションを録音するソフト)とMTR(重ね撮りの出来るレコーダー)を使って一人で音楽を作っていた。当時大好きだったバンドにジョイ・ディヴィジョンというバンドがあった。

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フロントマンのイアン・カーティスは2枚の名盤を残して23歳の若さでこの世を去った。当時のぼくは本当にバカだったから、その人生を恰好いいと思っていた。生まれてはじめて好きになった女の子に「ぼくはイアン・カーティスのように名作を残して23歳で自殺する」と本当に気持ちの悪いことをいってフラれたことがあったが、それくらい好きだった。

だから、24歳になって夢もなくコンビニのアルバイトをしているぼくのことを、当時のぼくはよく思わないだろう。

……話はそれたが、月の月収は8万程度だった。ライター時代に稼いだあぶく銭がまだ少し残っていたから生活はなんとかなった。でも人間というのは不思議なもので、稼ぐ金が僅かしかないと、その僅かの金で出来る限界の贅沢をしたくなる。荒く使って、割と早い段階で貯金はなくなった。

コンビニアルバイターとなった最初の頃は外食も頻繁にしていたが、その内に外食や総菜を買うのは控えるようになった。コンビニの廃棄が主食になった。

コンビニのアルバイトでは、どの時間帯でも働いていたから、食べるものには困らなかった。一日中、コンビニの廃棄を食べていた。けれど、次第に体調が悪くなり、コンビニの米は食べることがなくなった。一番のお気に入りは焼き鳥で、自宅で炊いた米にキャベツを乗せ、更にその上に焼き鳥を乗っけて丼にして食べた。

キャベツはスーパーに行けばタダで手に入る。皆さんも、キャベツの外皮を剥いだら近くのごみ箱に捨てるでしょう。そのごみ箱からキャベツの外皮を拾うこともできるのである。ぼくは2日に1回ほど近所のスーパー(タイヨー)に行ってキャベツを調達していた。

いつも、持参の袋にキャベツの葉を詰め込んでレジに並んだ。

「あら、うさぎを飼ってるのね」

近所のスーパーでレジのおばちゃんに聞かれたことがあった。

「いやこれ、自分が食べるんですよハハハ」

おばちゃんは何も言わなかった。たぶん、かごの中には安酒とキャベツの葉くらいしか入っていなかった。

そんな中でも、そんな中だからこそ、就職活動をしなければいけなかった。

フリーターの就職活動について

あるとき、パソコンが壊れた。突然、画面が縦になった。「なんのこっちゃ」と思うかもしれないので当時の画像を貼っておく。当然のように、新しいパソコンを買う金はない。

縦になったPC

けれど、就活の為にはパソコンが必要だった。「そんなことはないだろう」と思う人がいるかもしれないが、就活する上でパソコンは必須だ。

なぜなら職務経歴書を書かなければならない。

スマートフォンで作成する方法もあるのかもしれないが、当時のぼくにそこまで考える余裕はなかった。ぼくはパソコンを無料で使える施設を探した。結果として、サンエールかごしまで使用出来ることを知った。1階の情報体験コーナー2階のマルチメディア学習室にそれぞれパソコンの利用ペースがあり、1日1時間×2回ほど備え付きのパソコンを借りることができた。

パソコンを利用したいのだが、どのようにすればよいのか教えて欲しい。

ぼくはwordで職務経歴書を作成しpdf化させてから自身のUSBに落として近所のコンビニで印刷をしていた。サンエールかごしまで印刷をすることもできたが、1枚あたり10円が必要だったし、紙の質もはっきり言ってよくなかった。就活に使用する紙であれば綺麗な白紙がよいだろうと考えてコンビニの印刷機を使用した。

マイナビ転職リクルートエージェント、ハローワークを利用して‟土日祝休み!年間休日120日以上 転勤なし”の求人を見つけては応募をしていた。何社受けたのかはあまり覚えていないけれど、年内で面接までいった会社は結局5社くらいだった気もする。その内の1社は寝坊して面接に行けず、もう1社は面接の場所を間違えて会場へ行くのを諦めた。残りの3社はたぶん落ちた。

ぼくのこれまでの経歴は、営業職3ヵ月、事務職が半年程度だった。それから数か月のライター経験。

持ってるカードは一枚もなかった。

金融機関にお金を借りれば旅行にも行けるよ

就職活動が上手く行かないまま12月に突入した。年内の就職は無理だろうと悟り、来年に向けての貯蓄に励もうとアルバイトに精を出し始めた矢先に貯金が尽きた。12月の下旬、親しい人と北海道旅行に行く約束をしていたのだが、そこに行く金さえなかった。

それはもう、絶望的なほどに金がなかった。家族や友人から金を借りる勇気のないぼくは、金融機関で金を借りることにした。さしあたり、レイクで借りることにした。色々と調べてみると、どうやら10万円以内であれば、1月以内に返却することを前提に無利子で借りれるらしい。しかも半年間!!

つまり、4月1日に10万円を借りて4月30日に10万円を返せば、利子を取られることはない。4月から借り始めれば、10月までの間は無利子で借り続けることが出来る。半年を過ぎてしまうと、金額に関わらず利子が発生してしまうので注意が必要だ。

……これはレイクに限らず、金額や期間に差はあれどどこの金融機関でも同じらしいので、お金に困っている人は上手く使って欲しい。手続きは10分程度で完了する。

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金融機関にお金を借りている、と言うといい顔をされないが、そう言った人が金を貸してくれる訳ではない。正直、借りて困ったこともあったけれど、あそこで借りていなければどうなっていたのか分からない。

親や友人にお金を借りることの出来る人はそうした方がいいとは思うけれど、そうでない人は金融機関の活用をおすすめする。

という訳で金融機関で3万ほど借りて旅行に出ることが出来た。

就職活動の終わり

12月の末にはアルバイト先の忘年会に参加した。フリーターと学生の5名で行われた忘年会だったが、思いのほか楽しかった。焼肉で飲み食いをして、今はなきドルフィンポートでイルミネーションを見て帰ってきた。想像以上に楽しかったこともあって「一生アルバイトでもいいかもな」と少しだけ思った。

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けれど、3月末で電気代が止められてしまうことになり、奨学金の延滞期間も2か月を超えてしまった。アルバイトでもらえる数万円だけでは、支払うことが出来ない。どうしても正規の社員にならなければならない。

1月に入ってから、マイナビの主催する就職説明会に行き、ハローワークの求人を片っ端から漁った。それから3社ほど求人を出した。数うちゃあたる戦法は一旦やめて、面接に行く求人を絞った。土日祝休み、年間休日120日以上の求人の中でも比較的給与の高い求人に応募をした。

まず、1社目の会社から面接の連絡が入った。面接に行くと、2人の管理職がいて一通りの受け答えを行った。2社目は書類審査で落ちて、3社からの面接の連絡は中々来なかった。

そうこうしているうちに、最初に受けた会社の2次面接がはじまった。8人はいた。今にして思えば圧迫面接だったが、一通り答えて面接を終えた。

しばらくしてから合格の連絡をもらった。3社目の会社から面接の日程を伝えてもらったばかりだった。正直言って、まだ面接も受けていない会社の方に入社したかった。

けれど、金がなかった。

贅沢は言ってられない。ぼくは最初に内定をもらった会社で働くことに決めたのだった。

おわりに

という訳で、職に就くことが出来ました。

内定が決まってから仕事に出るまで、2週間はあったでしょうか。とりあえずは、親しい人たちへと連絡をしました。就職祝いをしてくれる人もいました。

ところが、20代の離職率は3割と言われています。ぼくは過去2度ほど転職をしていますので、ぼく自身もその3割に含まれているのです。なので、今後もその3割に入る可能性は大いにあります。

そう、問題は働き始めてからです。実際、会社で働くのは大変です。

次回は、就職をしてから現在までの話を少しだけしたいと思います。

それでは!

次が最後です。

いろいろなことが…

あったような なかったようなこれまでだったけど…

落ち込んだりもしたけれど…

よくよく考えてみれば今まで これでよかったんだ…

…………いや

むしろ幸せな人生だったのではないかな…?

福満しげゆき『僕の小規模な失敗』株式会社青林工藝舎、2005年9月

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