鹿児島の男性保育士26歳が、不動産の営業に転職するまで〜③職務経歴書に書けるアピールなんてない

転職
僕はもう世間的に手遅れですか?
今まで何してきましたか?
23歳くらいからあっという間でしたが
いろいろ履歴書じゃわかりづらいものをたくさん得てきました

狐火「27歳のリアル」

タイトルの通り、保育士の転職にまつわるあれこれを書いていくシリーズの第3回である。

前回、転職を決意し、本で情報収集し、転職エージェントに登録するまでを書いた。

転職エージェントの担当者からの連絡を受け、面談日時が決まった。新型コロナウイルスの影響もあり、基本的に電話を使った面談(打ち合わせ)となる。

というかそもそも、直接会って面談するにしても、鹿児島在住のスタッフがいたのかどうか。詳しく確認できていなかったが、いま思うと、コロナウイルスにかかわらず、どのみち電話で話が進んでいたのではないだろうか。

こういった点も地方の転職活動ならではというか、受けられる企業の選択肢が少ない、会ってサポートしてもらうのが難しい、など、それなりのハンデを背負って取り組むことになるのだが、地方で転職活動をしている時点ですでに都心部の企業と競争するのは困難なわけだから、そういうものだと思って取り組むしかないのだろう。

機会は均等ではない。地方に生まれ育ち、大学ではじめて県外へ出て、実感する。情報の少ない、肌ざわりのぬるい環境で育ってきたことを。しかし都会へ出たチャンスを生かせず地元へ戻ってきてしまえば、また都会へ出る理由はなくなる。

自分の臆病さと年齢を言い訳にして地元に残り、なにかかたちに残したい、と思って小説を書いても思うようにはいかず、この子どもたちの成長が楽しみだ、やりがいだ、と、保育士の仕事に熱心に取り組み、お金がないからタイヨーの売れ残った安い刺身を食い、このまま頑張れば頑張るほど苦しい生活が続くだけだ、と自己憐憫の入り混じった涙を浮かべて転職しても、結局、田舎のしがないサラリーマンになるだけだ。

それでも今よりはマシだと思っていた。実際、今、あのときよりマシだ。何よりそのときは、人生の転がり始める感覚が楽しかった。

保育士になったきっかけ

私が保育士になることを決めたのは、23歳の冬である。

もともと保育士になりたかったわけではない。学校で専門の勉強をしていたわけでもない。大学は社会学部だった。

高校生の頃、図書室で借りた立岩真也さんの「人間の条件 そんなものない」という本に衝撃を受け、そのほかにも興味のあるテーマの本を読んだ。私がいま掘っているのはどうやら「社会学」の分野であるらしいと知り、大学では社会学を勉強してみたいと思った。

「社会学部って何を学ぶの?」「社会学って何を研究するの?」といった質問がよくなされるが、社会学は「何をテーマにしてもよいこと」をアイデンティティにしているふしがあり、政治、教育、人権、環境問題、ジェンダー、貧困、差別、音楽、映画、サブカルチャー、恋愛、などといった周辺の物事から社会を考えよう、いや、考えられるのだ、という心構えでいる柔軟性、あるいは斜にかまえた態度を身に着け、実際役に立つかどうかはともかく、紋切り型を打ち捨てる方法を学び、研究することができるのが社会学部であると思う。

ということを大学でもっと真剣に考えられたらよかったのだが、私は入学してすぐ、社交不安障害という病気を発症し、ほとんど授業には出られない4年間を過ごしていた。

その4年間、心療内科に通い、薬を飲んでいたが、あまり良くならず、留年も決まり、大学生活も5年目に入った春、飲みそびれて缶にためていた薬を30錠いっきに服薬し、医者に叱られ、大学を中退しようと決めた。

地元の鹿児島へ帰り、半年くらいニートをしていた。10月、誕生日にふと思い立ち、アルバイトを始めた。母の知り合いに紹介してもらった、食肉加工のアルバイトである。毎日、歩いて1分くらいの近所の工房へ通った。

そのときからハローワークに通い始めた。まだ若いから、ということでキャリアアドバイザーを紹介してもらい、毎週面談を重ねた。

これまでどのような人生を送ってきたか。いまどのような状況にあるのか。どのような仕事をしてみたいか。自分がやりたいこと、一方で、鹿児島で現実的にできること。境遇や条件をすり合わせ、いちばんアリだと思える道を選ぶために、担当の方と話していく。

好きなことはなんですか。「本が好き。文章を書くことも」そんな仕事は鹿児島にはないなあ。「映画とか音楽とか、好きなものって訊かれるるとそうなるんです」甘いよ、という顔をして担当者は言った、じゃあどんなことがしたいですか。「人の役に立つこと」じゃあ、今からできるのは、福祉関係かな、介護とかね、会社で働くよりはいいんじゃない。「でもコミュニケーションが苦手なんですよ」苦手って言っても、まったくひとりでできる仕事はないですよ、働くうえでは、誰かしらと関わるわけだから。「そうですよね」私は、渡されたコピー用紙に、好きなこと、ではなく、興味のあることを書きつらねた。その中に、子ども、があった。

子ども? 子どもが好きなの?

「そうですね、昔からよくなつかれるほうだし、子どもと遊ぶのは好きです」

じゃあ、保育士資格を取得するのはどうかな。私も大学時代に試験で取ったよ。そんなに難しくない。やっぱり大学を中退していて、職務経歴もないし、何もない状態で定職に就こうとすると難しいから、ひとつ資格があるといいかもしれないですよ。

その日の面談が終わったあと、書店へ行って保育士資格について調べた。1年に2回、試験がある。筆記と実技。筆記はマークシートで6割以上。実技は科目を選べる。大学を中退していても、2年以上在学しており、62単位以上を取得していれば、試験を受けることはできるらしい。

担当者の顔が脳裏に浮かんだ。仕事のできそうな人だった。あなたは地元の大学を出て地元のハローワークに就職してさぞかし安定した生活を送っているのでしょう、私はこう見えてそこそこの大学を出ているから勉強には自信があるんですよ、あなたができるのなら私にだってできるはずです、という非常に卑屈な思いが胸をよぎった。いま思えば馬鹿な思い上がりにすぎないが、当時の私はそんなことを考えていないと自分の立場が許せなくなるくらいプライドを持て余していたのである。

それから私は保育士試験の受験を申し込み、勉強を始めた。この時点で1月末。4月末の試験まで3ヶ月である。食肉加工のアルバイトをしながら、夜と朝に勉強し、合間に小説を書いた。

2月、ハローワークで別のアルバイトを見つけた。学童保育の指導員だ。保育士試験へ向けて勉強しながら現場でも実務経験を積むことで、資格を取得してから正規採用されやすくなるだろう、という担当者のアドバイスのもと、応募して面接を受けた。

3月からは放課後の子どもたちの宿題を見て、公園で遊び、いっしょにお迎えを待った。ちなみにここでハローワークのキャリアカウンセリングは終了となった。

午前中、勉強し、小説を書き、昼過ぎから学童保育のアルバイトをして、夜、また勉強した。

4月の筆記試験をギリギリのラインでパスし、夏の実技試験へ向けてまた勉強を続けた。そして8月、保育士試験に一発合格することができた。つくづく運が良かったと思う。申し込んだ当初は、1年ほどかけて資格を取得する予定だったが、半年くらい早まったわけだ。

その夏、学童保育を運営している系列の理事長から、直々に話をいただいた。

よく頑張っているようだし、子どもが好きなのも伝わってくる。資格も取れたし、うちで正規の職員として働きませんか。

本当にありがたい話だった。学童保育のアルバイトではなく、療育施設の職員というフルタイムの仕事を、何の縁もない、そのへんの若い兄ちゃんでしかない私のために用意してくれたのである。

ただ、心から「はい」と返事をできなかったのも事実だった。

その数ヶ月前、私の小説が、地元の新聞社の主催する文学賞の最終候補に選ばれていた。その文学賞は「公開選考会」という、選考委員に壇上で候補作について討論してもらう場を設けていた。候補の私は緊張しつつも、直接、評価を耳にした。そこで自分の作品の「世界の狭さ」と、作者の「人間性の未熟さ」を指摘されていた。

このままではろくな小説は書けやしない。厳しい環境に身を置き、さまざまな経験を積んで世界を広げていかないと、甘えた人間であるまま、ただ時間だけがすぎていって、手遅れになるのではないか。

そんなことを思いながらも行動はちぐはぐで、経過観察として心療内科に月1で通っていたし、自分の「好き」に近い仕事をするため、保育士試験の勉強をしていた。実家に住んでいた。ちょっと恋愛の真似事をしたり、普段行かないような場所へ顔を出して「これも経験だ」とほざいたりしていたわけである。要するに、社会へ出る前に終わらせるべきモラトリアムの延長みたいな感じで悩み続けていた。

そんな折に、保育士として働かないか、とあらためて正式にお話をいただいたので、それを目指して頑張ってきたとはいえ、このまま保育士になっていいものか、もっと身を削られるような、他人に頭を下げるような仕事に就かなければ、私はまともな人間になれず、いい小説も書けないのではないか、と考えていた。

保育士として働き始めるからといって、別に保育士をずっと続けなければならないわけではないし、保育士だから過酷な経験が積めないとか、いい小説が書けないとか、そういうものでもない、どんな道にもかたちになりうる経験はあるし、そもそも小説のために生きようと考えてはいけない、今ではそう思うのだが、23歳の私は「この道を選んで大丈夫か?」と本気で思っていた。

しかし、それ以上に恩義を感じていた。これも何かの縁だし、理事長が私をよく思ってくれているのが心の底から嬉しかったので、私は施設と雇用契約を結び、9月から保育士として働くこととなった。

それからの話、そして転職を決意した経緯は、第1回に書いた通りである。

保育士の頃は楽しかった。

とはいえ、いざ転職する際になにかアピールできる経験が積めていたかというと、そうではなかった。打算で生きるべきだった、とはまったく思っていないが、自分の将来にプラスになるかどうか、という点においては、理事長から話をいただいて「本当に大丈夫だろうか」と感じ、すぐに踏み切れなかった私の考えも、あながち間違ってはいなかったのである。

履歴書と職務経歴書

転職エージェントの担当者に作成しておくように言われた書類。

履歴書。これはごまかしようがない。大学を中退していることも、保育士しかやっていないことも、資格といえば運転免許(AT限定)と保育士くらいしかないことも、正直に書くしかない。

アミュプラザ鹿児島の地下の写真機で、証明写真を撮った。髪をもっときちんとセットしたほうがいい気がして、身なりを整え、もう一回、撮った。いつもの自分ではないような、変な顔の私が撮れた。これが普通なのかもしれない。

さて、職務経歴書である。

どのような仕事をしてきたか。どんな業務に携わり、どんな成果を上げ、どんなスキルを身につけたか。入社した場合、これまでの経歴から生かせるものはなにか。どんな気持ちで取り組みたいと思っているか。そういったことを書くPRの書類である。

ということは、購入した本やインターネットを見て学んだのだが。

私は保育士であった。会社員として仕事を進めたことがない。ビジネスマナーすら身についていない。社内文書の取り扱い、業務報告・連携、アポイントの取り方、スケジューリング、そういった細かいノウハウも知らない。療育の活動を計画して実行してはいたが、それを定量的に評価する基準はどこにもなかったから、きっちり中身のある、利益を上げられる仕事だと胸を張って言うこともできない。

身につけてきたスキルなんて皆無に等しかった。対人スキルといっても、普段相手にしているのは子どもたちだ。落ち着きのない子どもにどう声をかけたらよいかはわかっても、購入を検討している大人へのヒアリングはできない。課題解決力といっても、子どもの発達の課題をサポートしてきただけだ。学校に行くのが難しい子どもに寄り添うことはできても、身銭を切って商品を購入した顧客との長期的な関係の構築はしたことがない。

読み聞かせは毎日やっていた。屋内では子どもを抱きかかえて遊んだ。公園では鬼ごっこをした。体を張って遊んできた。着替えや食事をサポートしてきた。お手玉とけん玉が上達した。新聞紙と段ボールでおもちゃが作れるし、ブロックで飛行機や恐竜が作れる。

でもそんな経験や技術は何の役にも立ちそうになかった。サンプルを見ながら、なんとか埋めていこうとするが、保育士の職歴を大まじめに記入するのは、恥ずかしいことのように思えてしまった。私が人事の立場だったら、27歳の男性が職務経歴書に「子どもたちと遊びました」と書いていたら、さっと目を通して落とすと思う。即戦力が欲しいんだ、申し訳ないけど、頑張ってね。

ものは言いよう

しかし、職務経歴書を作成しなければ、書類選考に進めない。そうなれば、もうむりやりにでも作るしかないのである。

時間は戻らない。やってきたことを悔やむよりは、それをどうプラスに伝えるかを考えたほうがいい。幸いにして、文章を書くのは得意だった(ちなみに、小説で賞を取ったという経歴も転職においてはまったくと言っていいほど役に立たない)。ただの保育士ではなく、いかに会社で使える人間か、ハッタリをかましてでも書きあらわすしかないのだ。

保育や療育のスキルを直接的に生かすのは難しいだろう。アピールにならない。であれば、私がどういう思いで仕事に取り組んでいたか、向上・改善のためにどのような行動を取ったか、を書くといいかもしれない。結果ではなく、具体的な内容や態度を伝えていく。

たとえば、私は、運営のうまくいっていない施設への異動を申し出て、業務の割り振りを見直し、子どもたちの課題、施設としての課題を洗い出したのち、活動計画をいちから練り直し、それを実行し、反省を踏まえてまた計画に落とし込むことで、子どもたちをまとめ、安心して過ごせる土台を作った、という経歴がある。これを「売上30%アップ」などの数字であらわすのは難しいが、「当事者意識・責任感を持って業務に取り組むことができる」「計画を立てて実行する力、業務改善スキルを持つ」と言うことはできる。

子どもたちの挨拶の声をそろえるとか、みんなで楽しくおやつを食べる時間を作るとか、実際に改善した点はいくつもあるのだが、それを細かく書いたところで、ふーん、と思われるだけだ。みずから率先してシステムを作った「主体性」だとか、子どもの立場を思って取り組める「熱意」など、どういう姿勢で取り組んだかを、わかりやすい言葉でまとめていく。

退職する前の3ヶ月ほど、私は同じ系列の各施設を自転車で回り、あれこれ雑談をしながら、職員間のコミュニケーションを円滑にするよう心がけた。当時は理事長が変わったばかりでみんな不安だろうと思い、また、その新しい理事長に「他のメンバーを無視している。自分だけが良くてもダメだ」と指摘されていた。コミュニケーションが課題である、と言われた以上、それを改善するために何でもいいから行動するしかない。私の仕事の質の向上、ひいては給与アップの方法が、それ以外にないように思えたのである。

職員の話を聞いて回ることに何の意味があるのか自分でもわからなかったが、ここは「自分の弱点を解決するための努力ができる」という名目で書くことができた。業務を押し付けるのではなく、職員がストレスなく仕事ができるようにするために、他施設にも積極的に顔を出すなど、時間をかけて関係を作る工夫ができる、行動を起こせる、というふうに。それが仕事においては、「相手の立場に立って考える力」「相手に寄り添って関係を構築する力」であると言い換えることができる。

また、シフトや活動計画はエクセルで作っていたので、ひととおり使えると言えた。パワーポイントも、保護者会のプレゼンで作成したことがある。基本的なパソコンスキルはある。

ビジネス的な考え方

そして当時、私が提案した定量的な基準のひとつに、「出席率」があった。

理事長が言うには、施設としては多い人数を預かっているほうが利益を上げられるので、今後は規定の定員により近い施設を評価し、賞与にも反映させていきたい、とのことである。

しかしこれには問題点もあり、ひとつは、福祉のサービスが、内容の質ではなく、単純に預かった人数で評価されることの妥当性である。理事長いわく、サービスの質が高まればおのずと利用人数も増えるとのことだが、定員が決まっている以上、評価も収益の伸びも、いずれ頭打ちになる。定員ギリギリをどれだけ上手く攻めたかの話になってくる。

この点はおいておくとして、もうひとつは、定員を満たすためにじゅうぶんな人数が登録されているか、という問題である。

基本的に週の利用予定は決まっており、何曜日に誰が利用するか、全員出席すれば何人になるか、一応計算の目処が立っている。これが、利用する子の欠席や、日数を増やしたい・減らしたいという要望など、イレギュラーな要素によって変動する。

それを穴埋めするために、その日は予定のない子に声をかけたり、他の利用児童の日数の調整をしたりするのだが、穴埋めは穴埋めなのだから、利用する側に対して気持ちの面であまりいい提案であるとは言えない。また、穴埋めするにも「もっと利用したいけど人数の兼ね合いで利用できない児童」が必要である。つまり、穴埋めできる、調整の効く人をたくさん抱えている施設が有利なのである。

ここに着目した私は、自分の所属する施設をどうにかして評価してもらえないかと思い、「出席率」という尺度をつくった。当時、私のいた施設は「定員により近いかどうか」でいえばビリだった。もっとも利益を生み出していない、と言える。

しかし、「週の利用予定を忠実に守っているかどうか」でいえば、負けていない。それぞれの施設の「週の利用人数」を、「週の利用予定」で割ると、「週の利用予定に対する利用人数」、つまり「出席率」が出てくる。こういうことを考えるのはビジネスでいえば当たり前のことだが、各施設の数字をエクセルに打ち込んでまとめた。

その「出席率」がいちばん高いのは私のいる施設だった。他の施設は欠席を見越して「週の利用予定」を多めに設定しているのだが、私たちはきちんと定員に近い人数で利用予定を決め、それをあまり取りこぼしていない。それなら「調整の効く人」をたくさん抱え、そもそもの利用予定を増やしておくことで、定員に近づけやすくなるのはうちの施設なのである。

少ない元手をきっちり回して利益を上げたほうがいいと思っていたので、私は「出席率が高いのはうちだ」と主張したが、プレゼンが下手だったので思うように聞いてもらえることはなく、また、「調整の効く人」をゆずってもらえることもなかった。新規の利用希望者は、なぜか他の施設に入ってしまうこともあった。もうパンパンなのに。

といったことを、「出席率という尺度を提案するなど、数字で考え、アプローチすることができる」というふうに書いてみた。これは後々、面接で話題になって感心されることがあったので、何でも書いてみるものである。

完成!そして面談へ

そんなふうに職務経歴書を作成した。

サラリーマンとして直接生かせる経験やスキルは書けないが、どのような態度で取り組んだか、どのような考えを持って取り組んだかは書ける。それは曲がりなりにも真面目に保育士をやってきたからだと思う。頑張ってきてよかったなあ、と思いながら電話面談にのぞんだ。

このあと、自分という人間がいかに役に立たないか、期待されていないか、あらためて実感することになるのだが、それは次回以降書いていきたいと思う。

ちゃんびい

コメント

  1. […] 鹿児島の男性保育士26歳が、不動産の営業に転職するまで〜③職務経歴書に書けるアピールなんてない僕はもう世間的に手遅れですか?今まで何してきましたか?23歳くらいからあっとい […]

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