鹿児島の男性保育士26歳が、不動産の営業に転職するまで〜④40社応募して面接は2社だけ

転職
通知表に評価されて育って
社会に出たら給与明細に評価され
自分の価値は銀行通帳の残高に反映されている様な感覚
不採用通知が来る度にこれまでの自分が全否定される感覚
あなた方の知らない所で出したアルバム3枚が僕の心の支えです

狐火「27歳のリアル」

鹿児島の男性保育士の転職について書くシリーズ、第4回である。

前回は、私が保育士になったそもそものきっかけと、その経験を職務経歴書においてどう生かすか、長々と書いた。

必要書類を完成させ、いよいよ求人に応募する。今回はその動きについて書いていこうと思う。

転職エージェントとの面談

そもそも私が転職しようと決めたのは、別の仕事を通して「自分のプライドと折り合いをつけたい」「甘い自分を鍛え直したい」という気持ちに加えて、「生活が苦しい」「将来を考えると今のままでは厳しい」「サラリーマンの経験を積みたい」と思ったからだった。

ということは、また保育士として転職する、違う園へ移る、では意味がないのである。

それでは、職務経歴書でアピールするのも困るほど、スキルや経験のない私が、何の業種・職種に転職すればよいのだろうか。できるのだろうか。

そのような思いを、電話面談でぶつけることとなった。

私が登録した転職エージェントは、doda、リクルートエージェント、マイナビ転職の3つである。

このうちマイナビ転職は、情報収集に使っていた。実際に面談を行い、活動をサポートしてもらったのは、dodaとリクルートエージェントだ。

6月の中旬、同じタイミングでふたつのエージェントに登録してすぐ、リクルートエージェントから電話があった。そこで、書類作成をしておくように言われ、初回の面談日が数日後の昼間(私の平日休み)に決まった。

翌日、dodaからも電話があり、そこで面談日を設定した。dodaは近いうちに日程の空きがないようで、翌週の夕方(これも平日休み)に初回の面談日が設定された。

それまでに履歴書・職務経歴書を作成しておき、登録する際にとりあえず打ち込んだ希望条件(転職時期、年収、職種等)を確認し、いざ面談、という運びとなった。

面談・リクルートエージェント

まずリクルートエージェントとの面談である。

担当者は、私より2つか3つ上の男性だった。名前をリクルウ戸さんとしておく。

初めまして、よろしくお願いします。挨拶ののち、登録してある情報をもとに、話を進めていく。

まず私が伝えたのは、とにかくわからないことが多い、ということだった。保育士しかやったことがないので、利益を求めて会社で働くのがどういうことかもわからないし、スキルも経験も、正直、自信もない。自分に何ができるのか、どのように道を切り替えるべきか、何の仕事ができるのか。もちろん情報収集はしたいと思っているが、私ひとりの力には限界があると思っている。リクルウ戸さんからすれば「そんなことも知らないのか」ということも質問するかもしれないが、教えてほしい、ということを、正直に伝えた。

なるほど、とリクルウ戸さんは言った。「どうして転職したいんですか?」

そこでも私の思いを伝える。自分を鍛えたいし、結婚とか将来のことを考えると、今の収入や給与の上げ幅ではしんどい部分があるので……。

リクルウ戸さんは笑った。「私もこの会社に転職したのが結婚したばかりの時期だったので、いろいろ心配とか迷惑をかけましたよ」

何十回もこすっているエピソードなのだろう。慣れたように話す。リクルウ戸さんは穏やかで、そこまで押しの強いほうではないが、親身に寄り添って話を聞いてくださる方だった。

「ちなみに、興味のある業種や職種はありますか、ここには【営業】とか【企画】、あとは【コンサル】の業種など、登録してありますね」リクルウ戸さんがそうたずねる。

いや、正直、私に何ができるのかわからないんですよ、保育士以外、何をやっても未経験だし、ぜいたく言える立場ではないのかなと思って。私はそう語った。業種と職種の違いは調べた。業種は、正直、なんでもよかった。職種を選ぼうにも、経理や管理業務ができるとは思わなかった。

「営業を選んだのはなぜですか?」

いちばん大変そうですが、いちばん人と会う経験が積めて、自分を鍛えられるのかと思って、選びました。私でも採用されるかも、というのもあります。

「なるほど、実際、営業の求人はたくさん出ているんですが、それだけ人手が必要ですし、欠員補充に追われているんですよね。たしかに、ちゃんびいさんのおっしゃるように、経験を積みたい、ということで、やる気もあれば、営業職で探すのが良いかもしれませんね」

そのときは、「早く転職したい」という気持ちが先走っていて、その後のキャリアを冷静に考えられる状態ではなかったと思う。ただ、選択肢の限られている私の場合、深く考えたところで他に良いキャリアが見えてきたかというと、そういうわけでもなかっただろう。いささかひかえめ過ぎたし、もっとあれこれ突っ込んで聞くべきではあったが、流れに勢いよく飛び込まなければ進まない状況も往々にしてある。

「ちなみに、いつごろ転職したいですか? だいたい1ヶ月から3ヶ月で決まると思いますが、このままうまくいけば7月に内定が出て、退職手続きや有給消化をして、8月から、もしくは9月から新しい職場でお仕事、という感じかと思います」

早く決まるならそのほうが良かったが、私の職場は7月、8月が忙しい。放課後デイサービスの子どもたちが夏休みに入るからだ。8月いっぱいは働きたい、できれば10月から、と答えた。するとリク川さんは「まあ、そのへんはお相手との兼ね合いもありますし、実際決まってから考えましょうか」と言った。

そのようなかたちで面談を進めたあと、リクルウ戸さんは提案した。

「それでは、このあと、ちゃんびいさんに求人を見ていただきましょう。私のほうでピックアップして出しておきますし、ちゃんびいさんも検索して検討してもらって、【応募する】【興味あり】【興味なし】に分けていただけますか。とりあえず応募して、書類が通過してから、選考に進むかどうか決めるのもありなので、あまり厳しく判断せず、なるべく【応募あり】にしてもらえたらと思います。そして、次回、わからない点もふくめ、いっしょに確認していきましょう」

書類は大丈夫そうでしたか?

「こちら、しっかり作成されていましたよ。問題ありません。私のほうで少し修正して、実際に応募できる状態にしてファイルを送りますので、確認をお願い致します」

わかりました。よろしくお願い致します。

そのようなかたちで、次回の電話の日程を決め、その日は終了した。他に転職エージェントを利用しているか、という質問にも正直に答えた。この時点で、転職活動を進めることは、家族にも、同僚にも、誰にも言っていなかった。

求人閲覧、求められる経験

夕方、リクルウ戸さんのピックアップした求人を確認した。

おもに営業職が10件ほど上がっていた。鹿児島本社の企業もあれば、名前を聞いたことのある大手企業の鹿児島支店配属の求人もあった。

ひとくちに営業と言っても、こちらからアポイントを取る必要のない反響型もあれば、顧客管理の中で新規を開拓するルート営業もある。自分は何の営業が向いているのか考える。そして、何がしたいかではなく、何ができるのか、やらせてもらえそうか、という基準でしか考えられない自分の市場価値の低さを思い、少し暗い気持ちになった。

年収はさまざまだったが、今より下がるということはまずなさそうだった。各種手当や、賞与の金額を見て、自分がいかに厳しく報われない現状にあるかを思い知り、私はなぜ3年間もここで頑張っていたのだろうと無意味な後悔の念を抱いたりもした。

なんとなくだが、私でも「ブラックっぽいな」というイメージのある企業の鹿児島支店、なんかはやめておいたほうがいいだろうなと思った。たくさん採用してたくさん辞めていく、だから常に求人が出ている、みたいな企業で続けられる自信がないし、初めてのキャリアアップのための転職で履歴書に傷がついてしまっては意味がない。

しかし、私が実際に選べる立場ではなかった。

必須条件【何らかの営業経験】【営業経験2年以上】【販売経験】【管理・マネジメント経験】

「経験」を問われているのだ。

「必須条件はあくまで企業側の希望なので、満たしていなくても応募して大丈夫ですよ」とリク川さんは言ったが、やはり尻込みしてしまう。保育士? なんでうちに応募してくるんだ、保育園行きなよ。即戦力の営業が欲しいのに、保育士じゃあねえ……そんな声が聞こえてくるようだった。

とはいえ、恥ずかしがっている場合ではない。応募してダメならそれまでだ。ひととおり【応募する】をクリックし、風呂に入り、私は勉強を始めた。

中小企業診断士の試験が来月に迫っていたのである。

中小企業診断士試験

当時、中小企業診断士の試験へ向けて勉強していた。

年明け、とにかく今のままでは何も変わらない、何か行動を起こさないとまずい、と思い、以前、タクヤという友人が受けると話していた「中小企業診断士」について調べた。

受験資格は特になし。大学中退でも受けられる。

書店でテキストと問題集をめくる。まったく太刀打ちできないわけではなさそうだ。「勉強の内容がわりと面白い」とタクヤは言っていた。保育士でいるうちは学べない知識を取り入れておくことで、ビジネスの考え方が身につき、いずれ役に立つかもしれない。どうせ勉強するなら、目標があったほうがいいだろう。そう考えて資料を取り寄せ、受験を申し込んだ。

休日や夜の時間を利用して、勉強していた。独学である。

お金に余裕があれば、講座に参加したり、対策模試を受けたりと、効率的な対策ができるのだが、私は問題集を買い込み、受験料を払うので精一杯だった。貧すれば鈍する、みたいなもので、お金がなければ誰かの力を借りて楽することもできないのである。これで不合格なら美談でも何でもない、ただクソ真面目に時間を食いつぶしただけだ、と思いながらスケジュールを組み、過去問を解き、風呂や川沿いのベンチでテキストを読んだ。朝飯を食べながら「ほらっちチャンネル」という中小企業診断士受験者向けのYouTubeチャンネルを見た。なかなか厳しい戦いになりそうだった。

追い込みの時期が、転職活動の時期と重なってしまったが、「現状を変えたくて資格取得を目指しあがいている」というエピソードは、選考において多少プラスにはたらきやしないだろうか、なんて淡い期待を抱いていた。

勉強しているうちに、コンサルタントの仕事にも興味を持ち、ゆくゆくは資格を生かしてそういう業務ができれば面白そうだな、などとぼんやり考えていたので、希望業種に【コンサル】を記載したのだったが、そういう求人は鹿児島にはあまりなさそうだった。

面談・doda

dodaとの面談の日がやってきた。担当者の名前を、ドゥー田さんとしておく。

ドゥー田さんも私よりいくつか年上の男性だった。手厳しいことも言うが、よく笑いながら話す人だった。

リクルウ戸さんに話した内容を、ドゥー田さんにも話す。今の現状の苦しさや、成長意欲に共感してもらった。ドゥー田さんはこの「共感」がとても上手だったと思う。私の悩みにきちんと寄り添うことで、言うべきことをきちんと言える関係をつくっていく方だった。

ヒアリングののち、ピックアップされた求人について判断し、応募を進める、という一連の流れは同じだったが、ドゥー田さんからひとつの提案があった。

「鹿児島の求人だけでなく、福岡も探してみませんか」

実際問題、鹿児島で、保育士が営業職の求人を探そうとすると、どうしても数が限られてしまうが、福岡であればケタが違うので、選択肢も広がる。それだけチャンスも増えるし、コロナだ何だ言っても、結局は都会に人が集まって都会でビジネスが進んでいくのだから、経験や人脈づくりという意味でも、これをきっかけに鹿児島を出てみるのはどうだろうか。そういう話だった。

正直、心が揺れ動いた。一年前くらいまで、よく思っていた。俺はもう鹿児島を出る理由なんかないんだ、スーツを着て仕事することも、ビルで働くこともないし、ずっと地方で子どもたちとふれあいながら、他に仲間も見つからないまま孤独に小説を書いていくしかないんだ、と。もうちょっと悲観的になれば、ここで作家としてバリバリ活躍しているロールモデルも前例もないけれど、だいたいそういうものだとあきらめて少ないチャンスに賭けて生きているうち、たいして金もないのに見栄っ張りなオジサンになるんだ、なんて思って自分をあわれみ酔いしれていた。

だから、仕事だけでなく、身の回りの環境までもがらっと変えられるのが、すごく魅力的に思えた。そしてそんなチャンスはこれを逃したらもうないかもしれない。

検討します、と言って面談を終えた。

家族に話したこと

転職活動を進めている、と両親に電話で話した。

私の両親はどちらも教員なのだが、転職活動についてはすこぶる肯定的だった。私もいい大人なのだから当たり前かもしれないが、保育士を辞めることについて、あれこれ言わなかった。

これまでを振り返ってみても、私の両親は子どもの決めたことについてあまりうるさく言わないタイプだと思う。自分で考えて決めたのであれば。ただ、筋が通っているかどうかはわりと重要で、客観的に見てよろしくない選択であると思った場合は、アドバイスをしてきがちだが、最終的には「自由にしていいよ」と言いがちである。(このへんは書くと長くなるので割愛する)

母は「そうかあ、頑張らないとね」と言った。転職エージェントや求人の内容についてあれこれたずねてきた。父は「まあ決めたことなら応援するよ」と言った。こういうとき、父は本当に何も言わない。

その中で、福岡へ行く可能性について話した。

「まあそのとおりだろうねえ」と母は言った。「そりゃもちろん鹿児島に残ってほしいけど、私たちのことは全然考えなくていいよ、それで幅が狭くなるのは本意ではないでしょう」そう言いながらも母は、「仕事も変わって、住む場所も変わって、それでまた病気がぶり返さなければいいけどね。まあ、今のあなたなら大丈夫だとわかってるけど、また数少ない友達も家族もいない環境に行くことになると、親だから心配するかな」

うむ……

人間はこういうとき、心の底の「こうしたい」という希望を補完するかたちで「こうだから」という理由をつくって後付けし、行動を決めてしまう、と思う。つまり、本当は「鹿児島に残りたい」という希望があり、それを「エヌがいるから」「家族がいるから」「地元に貢献したい」「地元で孤独に小説を書くことが文学の本質だから(吉村萬壱さんのありがたい言葉)」という理由を掘り起こし、「福岡行きはやめておいたほうがいい」という結論に落ち着かせてしまう。

ただ、そもそも「こうしたい」という思い、フィーリングの部分が「鹿児島に残りたい」であるなら、もっともらしい理由を無理にこじつけなくても、鹿児島で転職先を探せばいいのだろう。そう思うと納得がいったので、つまりはそういうことだった。なんだかんだで鹿児島にいるのが好きだ。それが地元というものである。

お見送りの連続

「応募する」と決めた求人について、リクルウ戸さん、ドゥー田さんとそれぞれ内容を確認する。営業職の実際の内容、正社員であるかどうか、給与、勤務地、休日など、条件を見て、わからないところをたずねていく。

実際に内定を頂いたとして、そこで働くイメージがあるかどうか。あまりいいイメージが浮かばないものは除外するのだが、私はそこまで厳しくジャッジせず、とりあえず応募を申し込んだ。

リクルートエージェント、doda、それぞれ10社ほど応募した。

2社を除いて18社は落ちた。

2社のうち、1社は契約社員であったので、選考を辞退した。1社は、適性検査ののち、録画面接ということで、準備を進めた。

書類通過が1社という状況では心もとないので、応募しないと決めたものや、新着の求人もふくめ、追加でもう20社、応募した。前回の20社まとめて応募したときより、個人的な基準を甘くしている。

またも2社を除いて18社は落ちた。

この時点で、リクルートエージェント・dodaの、鹿児島の求人は弾切れだった。内定を頂いて入社するとして、最低限の希望の叶う求人はなくなってしまった。あとは新着求人を待つしかない。他のエージェントを見てみるとか、ハローワークで探すとか、方法はあったのだろうが、私はリクルウ戸さんとドゥー田さんにあまりにもすがりすぎていて、考える余裕がなかった。

最初に書類が通過した企業の録画面接の準備を進める。1分間の動画で話す、「志望動機」「転職理由」「強みと弱み」などをドゥー田さんに確認してもらい、打ち込んだ文章をプリントアウトして、夜の川沿いで声に出して練習した。自宅でスーツを着て、何度も動画を撮り直し、送信した。

数日後、落ちた。

ドゥー田さんが言った。「企業の雰囲気と合わなかったかもですね……今のメンバーと合うかどうかでも判断されますので……あとは、やはり営業未経験ですし、学歴も高卒になってしまうので」

選考フローの途中にあるのは、わずか2社。40社も応募してこのありさまだ。この2つをしくじったら、リクルートエージェントとdodaを利用した転職活動は、とりあえず様子見ということになりかねない。

転職エージェントに出ない求人もある、ということに思い当たらなかったのが、反省点である。エージェントだけで進めようとせず、気になる会社の採用ページや、indeedや人脈など、当たれるものは当たって考えたほうがいい。

とはいえ、40社も応募してズタボロになるくらいの市場価値の低さをあらためて思い知り、ショックだった。ダメかもしれない。保育士をやっておけばいいのか。いつまで? それしかないの? 営業以外の仕事? それにしたって選考は似たようなものだろう。どこでも続けられる自信はあるのに。主体的に動いてきたのに。保育士であるというだけで、門前払いだ。

どこでも続けられる自信?

そう、本当はある。ここで、やっぱり保育士を続けよう、と思わない。思えない。なぜなら、どこかの会社に引っかかりさえすれば、なんとかやっていける自信があるからだ。プライドと言ってもいいか。憎くて潰してやりたいはずのプライド。こいつを打ち砕くために転職したい。でも、こいつは私を支えもする。うまく付き合えれば。

次回、書類通過した2社の面接の様子を書きたいと思う。内定が出るまであと少し。

ウソっぽい 空が晴れて手を合わせて逃げ道ばっかり探してた
ウソっぽい 志望理由を考えるのにうんざりプライドが邪魔になった
ウソっぽい だから面接に必要なのはエビゾウクラスの演技力
ウソっぽくたって 根拠なくたって 絶対にやれると信じたい

狐火「27歳のリアル」

ちゃんびい

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