【インタビュー】NPO法人ルネスかごしま理事長ーカウンセラー たにかつさん(後編)

インタビュー

さうれぽのインタビュー企画、第4弾のお相手は、NPO法人ルネスかごしまのたにかつさんです。

前編では、おもにルネスかごしまについて、お話しいただきました。

後編では、たにかつさんのこれまでについてお聞きします。どのような学生時代を送っていたのか? そして、鹿児島について、どう思っているのか。

ロングインタビューとなりました。たにかつさんがタバコを吸いに出た、前編の続きから。インタビュアーはエヌです。

陽キャと陰キャの中間、そして引きこもりの頃

たにかつさん (タバコから戻り)本当に、このインタビュー、使えるところがあるのかって感じですけど……

ーーいえいえ、よろしくお願いします。お時間は大丈夫ですか?

はい。このあと、パチンコに行きます。

ーーパチンコですか(笑)たにかつさんの引きこもり時代についてお聞きしたいと思います。その頃は、引きこもりとはいえ、完全に引きこもっていたわけではなくて、家庭訪問のアルバイトをされたりしていたんですよね?

そうですね、図書館とか、コンビニに行ったり。田舎だったこともあって、人目を気にしてはいましたね。平日の昼間は出歩きたくない、とか。公園みたいにひっそりできる場所もないし。海に行ったり。

ーー(ちゃんびい)たにかつさんって、地元はどちらなんですか?

そのときは、垂水。生まれは鹿屋なんですけど。

12歳で池田中学校(注:鹿児島市にある、私立の中高一貫校。寮がある)に行ったので、地元には同級生もあんまりいなかったですね。いたらいたで、イヤだったでしょうけど。

中学校は、いじめもあって行かなくなって、ゲーセンで大学生と遊んだりしていました。「家と学校しかなくて、どっちもつらい」というわけではなかった。

高校はいじめる人も少なくなって、行きやすくはなったんですよ。今で言うところの、「陽キャ」「陰キャ」ってあるじゃないですか。野球部、サッカー部の陽キャと、オタクの陰キャ。私はどっちにも入っていないんだけど、孤立しているわけでもなかった。

当時は寮にいたから、土曜日の午前中だけ開放されている体育館であっちのグループとバスケして、学校の昼休みはこっちのグループとトランプやって、みたいな感じ。だから、仲は良いけど、仲間かって言われるとそうじゃないから、誘われもしない(笑)

でも、それはお互い様だと思うんですよ。良い距離感。陽キャからすると、メンツが足りないときは呼べば来るし、呼ばなくても良い。私もそう。自分のテリトリーを侵害しないという意味では、お互い様なんですよ。でも、プライドはあったと思います。「寂しい」とは言えなかった。

大学で初めて親友ができて、そいつとは今でも付き合いがある。お互い暇だから飲みに行ったりした腐れ縁です。友達はそれくらいですね。そいつは4年生で中退しちゃったんですよ。私は5年在籍して、中退。

その後、東京で一人暮らしをしていました。フリーターです。渋谷のドン・キホーテのレジ打ち。月の給料が16万くらいでした。友達もいない。夜、仕事して、朝5時にワインを一本飲んでコンビニの飯を食って寝て、夕方、また起きて仕事。それで16万でしょ。家賃とガスと水道と電気代を払ったら、もう残らないわけですよ。先もないし。

2回くらい、「これじゃダメだ」と思って、正社員の求人を受けました。2、3ヶ月働いたこともあったけど、合わなくて辞める。そしたら、体調、メンタルがどんどん塞ぎ込んでいくんですよ。昼からお金もないのに酒を飲む。食事は、一日に豆腐一丁とか、5個入ってるあんぱんの生活。あんぱん、いちばんカロリー高いから。お金もなくて、親にも言えなくて、部屋も狭くてゴミ屋敷。

それで、半年くらい経った頃かな。先に大学をやめて、一浪して京大に行った友達が、「とりあえず京都に来たらどうだ」と言ってくれたんです。その友達は、京大の吉田寮に住んでいたんですよ。吉田寮なら、ダメな人もいっぱいいるし、勝手に住んでもなあなあでいられるし、なんか言われたらその時だけ「仮宿」という制度で200円払えばいい。本当はダメだけど。

でも、そのときまだ元気だった母親には、東京の部屋とか、 自分のみじめな状態を見せたくないし、知られたくなかった。いろいろ言われたくないし。だから親からの電話も出ませんでした。でも、結局、大家さんから連絡を受けた母親が、上京して荷物を片付けて、掃除、解約をしました。私がどこにいるかも知らないのに。

ーーお母様は、どのタイミングで、たにかつさんの状況を確認したんですか?

私は京都に1年半くらいいて、そのあと、大阪に行ったんですよ。「自分ではどうにもならん」と思って母親に連絡したら、「大阪の兄貴のところに行きなさい」と言われまして。そのタイミングですね。

東大にいた頃、そして中退するまで

ーーたにかつさんの大学時代もお聞きしたいです。東大ですよね。どのような勉強をされていたんですか?

私が在籍していたのは、「理科Ⅱ類」というところでした。もともと私は、競馬の調教師になりたくて、北大の獣医学部に行きたかったんですよ。日本で唯一、獣医学部があったんです。でもそのとき、「動物のお医者さん」がドラマ化されて、人気の学部だから落ちる可能性がある(笑)

動物のお医者さん |テレ朝動画
日本の某所に暮らす高校生・西根公輝は、 ある日、近所のH大学獣医学部の構内を通りかかった時、 変な格好をした謎の教授に、シベリアンハスキーの子犬を押し付けられ、「君は将来、獣医になる!」と妙な予言をされてしまう。 獣医学部に進学した公輝を待っていたのは、患者ならぬ患畜と超個性派の教授達。 学生と教授達の対決、教授同...

宙ぶらりんだと自堕落になる性格だったので、「浪人には向かない」と言われました。前期で東大の理科Ⅱ類を受験して、入学。勉強は好きで、どうせするだろうから、そのあと農学部に入れるだろうと思って。

ところが、大学の中にある駒場寮に入寮したら、全自動卓もあるし、ゲームも漫画も腐るほどある。天国ですよ。だから、大学には全然行かなかったですね。

最初は教養学部で、必修科目を取る必要がありました。私は理系だけど、どちらかというと、国語とか英語が好きだし、得意だったんですね。大学でも、テキスト論とか、比較文学、翻訳論とか……柴田元幸さん、知ってる?

ーーポール・オースターの翻訳をされている。

そうそう、いっしょに翻訳している佐藤雅彦さんの授業も好きでした。翻訳の授業では、ブコウスキーの短編を訳して持っていく。すると柴田さんが全部読んで返してくれる。佐藤雅彦さんはロックの授業が好きでした。あと、小森陽一さん……。

ーーおおっ。大好きです。

「夢十夜」を半年かけていっしょに読む、みたいなことばっかりやっていました。私は、物理と数学と中国語が、壊滅的にダメだったんですね。中国語は、授業に出ていなかったからしょうがないけど。数学と物理は、意味がわからなかった。

で、単位が取れずに留年。そのあとも、進学できるかどうか、ギリギリの成績だったんですよ。単位数は足りているけど、平均点が低すぎて、どのゼミも採用してくれない。でもそれは、留年者が多すぎるシステム上の問題だからという理由で、特例でもう一年、留年させてもらったりね。

でも、そのとき実家が傾いて、仕送りが減ったんです。バイトをしなきゃいけない。麻雀屋で、夜の10時から朝の5時までバイトして……大学に行くわけないじゃないですか。

ーー間違いないですね。

バイトは週3だったけど、夜勤だから、朝は寝るじゃん。進学できるわけがない。

それで、5年目は単位をほとんど取らず、中退。でも、当時は堀江貴文さん(注:東大中退)がオン・ザ・エッヂ(注:後にライブドアの事業を譲り受ける)を立ち上げた頃で、中退してもなんとかなるだろうと思いました。

獣医は、すぐに諦めていました。よく考えたら、調教師って朝が早いのよ。競馬が4時に終わって、夕方6時くらいに酒飲んで寝るんですよ。午前1時、2時に起きて朝9時くらいまで仕事して、仮眠をとる。それで午後の仕事をする、みたいなスケジュールなんですね。「朝、起きれんな」と思いました。

東大に入った頃は、東スポの記者になりたかったんです。でも卒業できなくなったので、それならライターになりたいなと思いました。

当時、糸井重里さんが、「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げて3年目くらいでした。1階と2階がスポーツジムの事務所を六本木に作っているところで、「新入社員募集」と。そこに書類を出して、落ちました。そういう時代ですね。広告も変わりつつあって、同期は、SEとか、レンタルサーバーの会社を立ち上げている者もいました。面白いと言えば面白いけど、難しい時代ではありましたね。

ーー小森先生も、2年くらい前に退官されましたね。たにかつさんは、鹿児島でライターをされていた頃もあるとか……。

なんでもやろうと思っていました。実績としては少ないですけど。31くらいの時かな、「TJカゴシマ」で1ページだけ、ねんりんピックについて県の部長さんから聞き取り、記事にまとめて1万円もらったことはありました。あと、大学の同期が、当時の「プレジデント」の副編集長で、精神科医の原稿を校正したおぼえがありますね。今は編集長です。ちゃんとお金をもらった仕事は、そんなもんですね。

東京と鹿児島、変な人の割合

ーー僕自身、鹿児島で東大出身の方にお会いするのは初めてです。東大出身の方のタイプには、いろいろバリエーションがありそうに思いますが、いかがですか?

鹿児島にも東大出身って、わりといるんですよ。変わってはいるけど、そんなに優秀ってわけでもないかな。

鹿大、九大、東大、どこがいいかで言えば、もちろん外に出たほうがいろんなものが見える。

鹿児島には、一度県外に出た人を「生え抜きじゃない」と思うねじ曲がったコンプレックスを持つ人もいるよね。たとえば、長渕剛は「鹿児島くそくらえ」って出て行って、何年か経ってから「鹿児島LOVE」って言い出した。「だから嫌い」って言う人もいるし、「そこが好き」って人もいる。まあ、「中にいたら見えないものもあるから、出られるなら外に出たほうがいいんじゃない」とは思っているんですけど。

バカンスの外観……どこか学生寮を彷彿とさせるような……

東大・京大のほうが、研究費用がある、一流の講義が受けられる。あと、研究職なら、東大・京大は学閥があるから明らかにいい。そういう部分はあるけど、都会はいろんな人種がいるから、幅が広がるんだよね。振幅というものが。鹿児島にも変な人はいる。その振れ幅が、東京のほうが大きくて、たとえばカリフォルニアなんかはもっと大きい。だから、バリエーションの多いほうがいいとは思ってる。

でも、鹿児島に変な人がいないわけじゃない。どこに行っても、変な人の割合は変わらないんですよ。5パーセントくらいかな。東大でも、「こいつ面白いな」と思う人は5パーセントですね。東京には突き抜けた人がいるし、そういう人って、面白いし、すごいけど、迷惑なんだよね。

ーー迷惑、ですね(笑)

だから、それを楽しめないんだったら、行く必要はないと思いますね。鹿児島の変な人を観察しているほうがいい。

カウンセラーとして・ルネスかごしまのあり方

ーーたにかつさんは、心理士などの資格を持たれていません。以前、「カウンセラーを取り巻く今のシステムに問題がある」とおっしゃっていました。それを踏まえて思うのですが、たにかつさんご自身が、今の制度に問題があると考えるから、心理士などの資格を取得されないのでしょうか?

単純に、時間と費用の問題かな。あとは見返り。

資格って、ある意味、人に認めてもらうものなんです。人に話すときに言える。もちろん、取得のために勉強した知識は残ると思いますけど。臨床心理士、公認心理士を持っている人は、大きいレンジで認めてもらえる。

それを私が取るために、時間と費用がかかる。でも、資格がなくても認めてくれるのであれば、取る必要がないわけですよ。3年という期間で、資格を取るのか、それとも、行政に認知してもらう活動を取るのか。そう考えると、資格はお金を「払う」、活動はお金を「もらえる」可能性がある。そうなった場合、私は活動を選んだ、というわけですね。

だから、もっと時間があって、自分が未熟だと思っていれば資格を取るけれども、私は大学を中退している。取得単位も少ないので、たとえば放送大学に編入して、大学院に行って、となると、費用と時間がかかりすぎる。37歳から初めて、40歳を過ぎて……無理だよね。時間がない。

これからカウンセラーになりたい人が、18歳くらいなら、大学に行ったほうがいいですよ。向き不向きもあって、カウンセラーに向いているタイプじゃない場合もあるから。いろんな人と知り合ったり、勉強したほうがいいんじゃないかな。そのうえで「どうしてもカウンセラーになりたい」って思えば、目指せばいい。

大学に行けない人、すでに働いている人は、子ども食堂とか、対人支援に取り組むNPOとか、組織はいっぱいあるからね。そこでボランティアしたり、講座を受けたり。私のカバン持ちでもいいですし。本気でやりたいのであれば、方法はありますよ。うちも、4年目以降は、人を雇用したいんですよ。手は足りないので。来れるのであれば来てほしい。できる人なら、お金を出すのでやってもらいたいです。

ーーたにかつさんは「伴走型支援者養成講座」を行なっています。こちらは、いっしょに働く人を探すという意味合いもあるのでしょうか。

なくはないです。

伴走型支援者養成講座の案内

ーーたにかつさんと同じようなことをしたいとおっしゃる方はいますか?

10パーセントくらいはいますね。フリースクールをしたいとか、支援したいとか。

ーーそれは、ルネスかごしまで、ということでしょうか。

うーん、いくつか考えないといけないことがあって。

まず、能力があって、うちで働きたい人がいれば、今年からは、ある程度環境を用意できる。それがひとつ。

ただ、うちが目指すのは、ピラミッド型の組織ではなくて、ティール型の組織なんです。個々人が、自分で仕事を取ってこないといけない。つまり、カウンセラーとして自立していないといけない。上から与えられた仕事をしているだけなのは、違うと思うんだよね。

たとえば、Ten-Labも、看板自体は好きに使っていいんです。

Ten-Lab
鹿児島天文館総合研究所

(鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab。市町村・地域のコミュニティ形成・活性化、プロジェクト実行、計画策定などのサポートを事業として行なっている)

でも、その人に仕事をあげることもなければ、その人の仕事を取ることもない。うちも、適材適所で向いている仕事があれば振るけど、その人のために仕事を取ってくることはない。「自分の仕事は自分で作らなければならない」と思っているから。所属しているから給料が発生する、ということはないですかね。

まあ、本当に能力があれば、自然と人は集まるはずだし、仕事も来るはずなので。そこでルネスの看板を使うことにメリットがあればいいけど。

もうひとつ、私のミニチュアやコピーを作るつもりはないんですよ。それは本当に意味がない。

だから、私と全然違うやり方をする人が増えたほうがいい。そもそも、私が引退する時、ルネスを残すかどうかもわからないんだけど。カウンセラーとか支援者の質の向上は大事だけど、全部うちがやる必要があるのか? ってことになりますね。

「なんであそこはうまくいくんだろう? 仕事が来るんだろう?」って、うまくいかなかった人は思うんでしょうけど、足りないものを自分で考えて作っていく人もいるだろうし。ひだまりカフェにしても、多様性という意味では、全然違うものがたくさんできたほうがいいですよ。

おこがましい言い方になるけど……うちのマインドに影響を受けつつも、違うものを作っている人はいる。それは業種を超える。頴娃町の株式会社オコソコの加藤潤さん、Ten-Lab、あいらびゅーFMの上栫祐典さん、志布志の「ものもの交換プロジェクト」の田中慶悟さんとか。そういう人たちから、私も影響を受けています。

株式会社オコソコ
共界線を創造する
あいらびゅーFM 89.1MHz ::: コミュニティFM放送局 | 鹿児島県姶良市 – コミュニティFM放送局|鹿児島県姶良市
モノモノコウカンプロジェクト
モノモノコウカンプロジェクト

まあ、私のプライドの問題もあって、クオリティを下げたくない。「クオリティが高いのか?」と聞かれると、困るんですけど。やっぱり、自分でやりたいんですよ。独自の活動をしている人を黙って見てたり、若い人たちが何かやることに「ああ……」と思ったりもするけど、口は出さないようにしないとね。自然淘汰で、よくないものは、おそらくなくなっていく。残るものは残る。そういうことだと思います。

死のうとした時、思い出してもらうための積み重ね

ーーたにかつさんは、今年の2月に「うちはお金が足りない、必要としている」という内容の文章を、noteでも発信されていました。結果的に、ルネスかごしまは、県から支援を受けることとなりました。活動が評価された結果、実現したことだと思います。どういった部分が評価されたと思いますか。

言いたくないけど、後継者育成のためのお金を下さい>鹿児島県|谷川勝彦(たにかつ)|note
対面による相談500件超、訪問による相談300件超、 電話・SNSによる相談応答(送受信)件数は統計とってないけど1万件を超えていると思う。 これらは、NPO法人ルネスかごしまが2020年4月から2021年3月までに受けた相談件数です。 電話・SNSによる相談は鹿児島県障害福祉課からの助成(地域自殺対策事業)を、...

うーん……。(間が空く)

うち、ひだまりカフェを毎週土日やってきて、台風や年末年始以外は、基本的に休んだことがないんですよ。風邪ひいた時とか、出張している時にスタッフがやってくれたことは何回かあるけど。

コンスタントにやっている中で、SNSで「明日やります」「始めました」「今日は何人でした」という報告を、一回も欠かしたことがないんですね。「行ってもやっていなかったらどうしよう」「やっていなくてがっかり」という結果を作らないようにしてるんです。信頼がガタ落ちするから。

そして、「行きたい」と思ってくれたことに「ありがとう」と伝えて、一人ひとりと関係を作らないといけない。結局は積み重ねですね。別に、SNSの報告は、数字を捏造することもできるじゃない。でも、リアルタイムでSNSにアップすることで、「ここはちゃんとやっているな」というふうに、伝わると思います。「行ってよかったな」と思う人も、それなりにいる。

県に認められたかどうかは、正直、よくわからないです。綺麗事を言う人はたくさんいる中で、実際、必要な時、必要な場所に呼ばれない人もいるわけじゃないですか。でも、うちの場合は、人が呼んでくれる、紹介してくれる。

やっぱり、巻き込み力、巻き込まれ力なんですよ。面白そうな場所に行く。そこの人たちも、自分たちを手伝ってくれたら嬉しい。現場だけでなく、広報もそうです。シェアしたり、直接会って話したり、差し入れを持って行ったり。それが残るんですよ。

この日もチョコレートをいただきました。

支援者に必要なことって、死のうとした時、思い出してくれることなんです。死ぬ前に、「あの人に挨拶しておきたい」とか、「あの人と食べたラーメンが美味しかったな」とか、最後の一線を越えるかどうかのところで思ってもらえたら、その人をこの世に残す可能性がある。強烈なインパクトより、覚えていてもらうことが大事なんですね。差し入れも、いやらしいけど、覚えてもらうための手段です。その積み重ねです。

まあ、中身も大事だけどね。お金をかけてプロモーションしても、お店の料理が不味かったら、お客さんは減るじゃない。中身を充実させることと、覚えてもらうことと、両方が大事だと思います。

一昨年は、「哲学ナイト」という企画を、飲み会でやろうとしたんです。でも、飲み会だからみんな気持ちをコントロールできない。お酒を入れたのがまずかったね。でも、お酒がないと来ない人もいる。でも、お酒がないと来ない人は、来なくていいんですよ(笑)。

そういえば、さうれぽも、「新しくメディアを立ち上げました」という人たち向けの助成金とか、あるから。ぜひ使ったらいいですよ。

鹿児島について思うこと

ーーありがとうございます。最後にお聞きしたいです。たにかつさんは、鹿児島についてどのように考えているのでしょうか。

ああ! それね。その質問を事前にもらって、どう答えたらいいか、考えたんですよ。今朝も、昨夜も。

ーーありがとうございます。

私にとっては、生まれたのが、鹿児島です。実家があるから帰ってきたのが、鹿児島。

好きか嫌いかと聞かれたら、どちらかといえば、好きです。嫌いな部分もある。閉鎖的だったり……田舎が悪いわけじゃないけど、ぜいたくをいえば、競馬場もないし。残念だって思うことは、なくはない。男女共同参画、ジェンダー、LGBTという点では、それからカウンセラーの資質という意味でも、全国的な水準からすれば、20、30年は遅れていると思います。

逆に、レベルが低いからこそ、「仕事になるな」と思ったんですね。申し訳ないことに。

ーーなるほど。

レッドオーシャンで仕事をしても意味がない。闘いが激しくなるだけでしょ。鹿児島は、「ここなら付け入る隙があるな」と思ったんです。カウンセラーの資質も、ちゃんと取り組めば5年くらいで全国的な水準に追いつくはずだし、それなら、その時点で私がやることはない。

基本的には、鹿児島に生かしてもらってるから好きなんだけど。たとえば、福井県に生まれていたとして、どうしても鹿児島か、と言われたら、そんなことはないんだよね。でも、好きじゃないわけでもない。

運命ですね。少なくとも、弾き出されたりはしていないし、育ててもらえているから、「恩返ししたいな」と思っています。

でも、私は、鹿児島で苦しんでいる人のためだけに、仕事はしていないんです。鹿児島だけにこだわってもしょうがないし、こだわりたいとも思っていない。鹿児島の地域の情報をシェアしたり、応援したりもするけど、たまたま近くてよく知っているからです。

そこは、縁だね。「遠くの親戚より近くの他人」みたいに言われるけど……「困っている人が二人いたら、近いほうから助けなさい」というのが、仏教の考え方にあるらしいです。近いということは、縁がある。手を伸ばせば届く。無理して遠くに出かけて助ける必要はない。

こういう話をすると、「じゃあカンボジアに行って支援している人はどうなるの……」って言われたりするけど、そういうことじゃないよね。その人にとっては、カンボジアに縁があるというだけで。どちらも否定する必要はない。

今、私はたまたま鹿児島にいるから、近くにいる人たちに喜んでほしいし、元気になってほしい。だから、割合としてね、「鹿児島の人の役に立つことをしたい」とは思っているけど。

ーーそれは、たとえば福井に生まれても、香川に生まれても、青森に生まれても変わらない。

世界中の場所が好きだから。

たとえば、政治家になるつもりはないけど……鹿児島市の市議会議員になったら、鹿児島市外の人は、がっかりすると思うんだよね。「なんだあいつ、鹿児島市だけでいいのか」「うちのことはやらないのか」って。そう思われたら、よそのことはできなくなる。そういう意味で、市議会議員にはなれない。なるつもりもないけど。

鹿児島県知事になったら、「青森県に困っている人がいて、ルネスかごしまのことを知って、今から会いに行かないといけない」となった時に、行けない。だから、世界政府になれば……(笑)

ーーすごい。世界政府(笑)

でも、その時は、宇宙の話が出てくる。だから、何にもなれない。火星人が困っていても、何もできなくなるからね。

「鹿児島を盛り上げよう」という気持ちはすごくわかるけど、よそを貶める必要はないんですよ。比べる人がいるじゃない。宮崎、福岡なんかと。そんなことはしなくていいんだよ。宮崎もいいし、福岡もいいし、そのうえで鹿児島もいいよ、という話をすればいい。それぞれが楽しく生きていける場所なら、自然と移住する人も増えるし、活性化するし、商売で儲ける人も増えるだろうし。それぞれが楽しく生きる方法を模索すればいいんだよね。


たにかつさんは毎週水曜日の午前中にバカンスでフリーコーヒーをされています。
水曜日はフリーコーヒーの日です。|谷川勝彦(たにかつ)|note
人に淹れてもらうコーヒーはおいしい。 でも、いつも人に淹れてもらうのは難しい。お金がかかったり、いつもその人がいてくれるとは限らないから。 自分で淹れるのは、そんなに難しくない。自分で飲む分なら、インスタントでいい時もあるし。 人に淹れてもらうのはおいしい。 フリーコーヒーは1100~1300、鹿児島市名山町...

でも、苦しい時は、そんなこと言われてもね。自分の心配してる時に、世界のことを言われても、「は?」って思うじゃん。

私は、つい2年前まで、「打ち合わせを喫茶店でやりましょう」って言われるのが、怖くてしょうがなかったんです。「500円のコーヒー代を出せねえよ」って思ってた。10日間の食費と同じだからね。当時はガチで、一日一食・うまかっちゃんだったから。「卵入れて食える日は幸せ」という生活。駐車場代を心配して、まともに話はできないよね。でも、新規事業ってそんなものだと思う。

そちらも、もし広告枠とかあれば、言ってください。

ーーありがとうございます。

来年は、鹿児島ユナイテッドFCのスポンサーが下りて、そちらに広告費を出せるように(笑)

ーーうわあ、頑張ります!

いや、それは私も頑張らないと。

ルネスかごしまのこれから

ーーすみません、最後にもうひとつ。たにかつさんは、ルネスかごしまの3年後について、ビジョンがありますか?

当初の5カ年計画が、「人を2人雇う」でした。でも、現状、常勤で雇うのは無理かな。でも「無理」って言ったら無理になるから、そこは変えないほうがいいか。

生活環境が悪い人、虐待・DVを受けている人って、たくさんいるわけですよ。そういう人たちが、安全な場所で生活できて、だからこそ仕事にしっかり取り組めると、全体として、もっといいことができるじゃないですか。そのための土台ができればな、と思っています。抽象的ですが。

ーーたにかつさんは、最終的にはルネスかごしまを抜けてもいい?

私、もともと器用貧乏なんですよ。傾聴とかカウンセリングが私より上手い人は、絶対いる。

私は、たまたまどれも60点なんですね。だから、20点と100点を持っている人がいれば、100点の人にできることをやらせればいい。でも、そういう人は、SNSに手こずったりする、とかね。

だから、「可能性を限定しない」という意味では、3年後に私がルネスにいるかどうかもわからないし、何をやっているかも決めたくない。わりとどこでもやっていけると思うんですよ。

日本にいれば、パチンコ屋がなくならない限り、食ってはいける。まあ、種銭はいるけどね。

ーーパチプロで生活していた時期があるって本当ですか?

はい。パチプロにも、色々業態があるんですけどね。グループとか、一匹狼とか。

ーー(ちゃんびい)最後、パチンコの話になりました。

ーー本日は、長いお時間、ご対応いただき、ありがとうございました。

編集後記

インタビューは終始笑いに包まれていた。たにかつさんのユーモアと知性、そしてまれにみる自虐という「コミュ力」がその場の空気をリラックスさせていったのだろうと思う。当初、わたしたちは「たにかつさん」という不思議な人物(失礼しました)をインタビューするにあたってどこか気構えているところがあった。そういった不安や気構えも徐々になくなっていた。

純粋に、話を聞くのが面白かったし自分の人生について相談してみたいとも思った。

ところで詳しくは書かなかったが、エヌは5年前にたにかつさんにお会いしたことがあった。特別話をした訳ではなかったので、わたしと会った記憶はたにかつさんにはなかったろうと思う。「卒論を書く勉強に」とか、そういった動機で同じ団体の活動に参加していた。

けれど、わたしにとってたにかつさんという人はとても印象深く記憶に残っていた。いつも新聞を読んでいた気がする。そうして、最後にお会いしてから5年後、わたしはひだまりカフェに参加した。

いくつか相談したいこともあったしたにかつさん、という人と改めて話をしてみたい、という思いもあった。実際に会ってみると、やっぱり不思議な人で謎は深まるばかりだった。けれど、たまに気が向いた時、お昼ご飯を持ってひだまりカフェに足を運ぶようになった。「ただ昼飯を食べにいくだけでは迷惑ではないか」という「居づらさ」を抱えながら参加するのだが、いざ参加してみるとその「居づらさ」はすっと消えて最後には充実した気持ちでその場を後にすることになる。

本当に困って、頼る人が誰もいないとき、わたしがひだまりカフェに行くかは分からない。それはその時にならないと分からないし、どうしようにもならない時のプライドほどやっかいなものはないからだ。

ただ、組織に属して働いて、ストレスを抱えながら社会生活を送っているわたしにとっては、「苦しいな」と思ったときに思い浮かべる場所がひとつでもあるというのは大きな救いになる。

この記事を読んでいる人の中で「苦しいな」と思った時に、ひとつの逃げ場所も思い浮かばない人がいるのなら、ぜひともたにかつさんの活動に参加してほしい。

それでは、たにかつさん、この度はインタビューにご応募いただきましてありがとうございました。

またお昼ご飯を食べにいきます。エヌ。

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