【インタビュー】イラストレーター・ヨシサコツバサさん(前編)

インタビュー

さうれぽのインタビュー企画、第5弾のお相手は、鹿児島を中心に活動されているイラストレーター・ヨシサコツバサさんです。

ヨシサコツバサさんのnote「note始めましたので自己紹介します」より転載(https://note.com/283__________/n/n063a8c27d914)

ヨシサコさんは、ポップな絵柄と鮮やかな色づかいで、可愛らしいうさぎのキャラクターや鹿児島の風景を描かれています。今回、いったいどのようなお話が聞けるのでしょうか。

※本インタビュー記事に掲載されている絵・イラストについてはご本人の許可のもと掲載しています。無断転載は固く禁じます。絵・イラストを掲載・利用される場合はヨシサコツバサさんご本人へご連絡ください。

ヨシサコツバサさん

プロフィール

*1992年生まれ、鹿児島県在住のイラストレーター

*鹿児島大学教育学部美術専修卒業

*画家・イラストレーターとして県内外で活躍するほか、バンド・トラニツバサの作詞・作曲、ギターボーカルを担当。

公式ホームページ:https://283ytsubasa.wixsite.com/—283—

ネットショップ

・SUZURI:ファッショングッズ、コップ等のグッズを販売(https://suzuri.jp/283__________

各種SNS

・Twitter:ヨシサコツバサ(@283__________

・note (https://note.com/283__________) イラストやバンドをはじめたきっかけ等、エッセイ多数

・Instagram(https://www.instagram.com/283__________/

・トラニツバサ(https://mobile.twitter.com/283totora

インタビュースタート

今回のインタビューは、zoomにて行いました。インタビュアーは、エヌです。

――(エヌ)それでは、ヨシサコツバサさん、本日はよろしくお願いします。

――(ちゃんびい)以前、shop&gallery SOMETHINGの塚田さんにインタビューをさせていただいた際、ヨシサコさんのお名前も登場しました。今回、インタビューに応募してくださったので、私たちも感慨深いものがありました……あらためて、ありがとうございます。

――それではさっそく、簡単な自己紹介からお願いします

(ヨシサコツバサさん)はい、よろしくお願いします。名前は、ヨシサコツバサです。カタカナ表記の”ヨシサコツバサ”で、イラスト・絵を描いたりしています。

今は、鹿児島を拠点に、フリーランスのイラストレーターとして活動しています。WEBやアニメーションのイラストの仕事を受けながら、展示活動をしている、という感じでです。

以前は、県外のアートイベントにも出店してはいたんですけれど、今はコロナの影響もあって、鹿児島に拠点に絞っていますね。

……こういう感じで大丈夫ですか?(笑)

――もちろん、大丈夫です! 以前、283(ツバサ)さんという名前で活動されていましたね。2019年ごろから今のお名前を使用されている、と把握しています。何か心境の変化があったんですか?

もともと、本名を出すのに抵抗がありました。下の名前の、283(ツバサ)は本名で、それを数字にしていました。ヨシサコツバサに変えた理由としては、283だと、初見の人がわからない。あと、同じような名前の人がたくさんいたので、被ってしまう。

当時の仕事を辞めた関係で、本名がばれて困ってしまう、ということもなくなりました。そして、もっと絵の仕事を受けたかった。本名であれば、ペンネームよりも責任をもって仕事に取り組めると思って、カタカナ表記のヨシサコツバサにしました。漢字で書いた字面は、好きではなかったので。覚えてもらいやすいですし。

――確かに、覚えやすいお名前ですよね。すっと入ってくる。本名に変わった時期から、絵のお仕事を本格的に始められたんですね。

そうですね。最初はそんなにたくさん仕事を取れるわけでもなかったんですけど。友達とか、その友達から、「絵の仕事ができる人を探している」と、人づてに紹介してもらって。営業もはじめていく中で、徐々に仕事も増えていきました。

絵をはじめたきっかけについて

――大学時代、美術学科で油絵を学んでいたということです。絵やイラストを描き始めたきっかけがあれば、教えていただければと思います。

幼少の頃から、絵を描くのはずっと好きでした。「将来は絵を描く仕事がしたいな」とは思っていたんですけど、心のどこかで「私には無理だ」という気持ちもありました。大学を卒業して普通に働いて、その片手間で絵を描いていたんですけど、「やっぱり諦められない」という気持ちもあり……20代も後半になって、自分の人生を考えた時、「後悔したくないな」と思いました。

うまくいくかはわからないけどやってみよう、ということで、本格的に始めました。

――なるほど。卒業されてからは、鹿児島でお勤めされていたんですね。

そうですね。その片手間で、イベントに出したり。当時は、今みたいに。鹿児島で気軽に展示ができるような環境ではない、というか、絵描きさんの知り合いも全然いなかったです。自信もなかったですし。

逃げるように、県外でのアートイベントで出展していました。そこから、いろんなご縁もできて、今に至るという感じですね。

2017年名古屋 クリエイターズマーケットで描かれたライブペイント (https://note.com/283__________/n/n063a8c27d914 より転載)

――県外で活動をされていて、それが最終的には、県内の活動にも繋がってきたと。

鹿児島のアートイベントは、年に1回、KTSさんが主宰しているアートマーケットくらいしかなかったので。探せばもっとあったとは思うんですけど。

ナマ・イキVOICE アートマーケット | イベント | KTS鹿児島テレビ Kagoshima Television for Smile
KTS鹿児島テレビ。鹿児島テレビ放送株式会社。フジテレビ系列局。ナマ・イキVOICE等の番組案内、県内ニュース、アナウンサーとイベントの紹介など。

あとは、同年代の絵描きさんの知り合いがいなくて、先輩ばかりだったので、入っていける自信もなかったです。鹿児島にこだわる必要もないとも思ってはいたし。行ったことがないところにも、どんどん飛び込んでいきました。その時も、けっこう赤字だったんですよ。いきなり知らない人の前に行くわけじゃないですか。

――確かに、そうですね。

やっぱり、見てもらうのも難しくて、いろいろ試行錯誤する中で、見てくれる人も少しずつ増えていきました。

今は鹿児島も、SOMETHINGさんみたいに、新規の作家さんを開拓してくれるところが増えてきたので、今の若い絵描きさんたちは羨ましいですね。環境が恵まれている。

――ヨシサコさんが始めた頃は、本当に。アートマくらいだったってことですね。

そうですね、まあ、絵を描く仲間もいなかったですし(笑)

――仲間がいないという理由だけで、いきなり県外で活動するなんて、すごい行動力ですよね。最終的にはお仕事もやめて、覚悟を決めて。

その時は、まだ仕事をやっていました。イベントなどに出展をはじめて2年くらいは仕事を続けていて、そこから先はアルバイトで食いつなぎながら活動を続けていきました。

――なるほど。名古屋とかで活動していると、その活動をきっかけに、鹿児島でも声がかかったりするんですか?

最初は、手応えが全然なかったです。やっぱり、鹿児島でやっていないから、鹿児島では知られていない。当時は今よりも未熟だったし。

あとは、ご縁があって、名古屋で個展をしたこともあったんですよ。名古屋のシアターカフェのコンペに出して、賞をいただいたりもしました。

Theater Cafe
おしらせ本日より、酒類提供を再開します!ぜひご利用ください。シアターカフェ 新型コロナウィルス感染予防対策の取り組みクラウドファンディングご芳名掲載はこちらシアターカフェ移転&リニューアルオープン1周年記念開放祭 受賞結果シアターカフェ賞

「名古屋で個展します」と言うと、「人来るの?」みたいに言われたりしたんですけどね。

 2017年名古屋 シアターカフェ公募展「たくさんの×××」受賞作 「あと1秒で」(https://twitter.com/283__________/status/879217259176001536 より転載)

――ちゃんびい&エヌ:……(笑)

そこは、場所そのものの顔が広くて、すごく救われましたね。

――受賞をきっかけに、県外での活動も広がっていったんですね。

あとは、そのイベントで、作家さん同士の交流があって広がってきました。県外で活動していたから鹿児島の活動に影響があった、ということはないですかね……ただ、今の糧にはなっています。

――県内の活動から県外に活動を広げるパターンが一般的だと思っていました。ヨシサコさんのように、県外から県内につなげる方もいるんですね。

鹿児島で絵描きさんが増えたのは最近ですよね。水面下では、活動している方もいらしたとは思うんですけど。SOMETHINGさんみたいに、ネットの活動がメインの人を開拓する場所があったり、あと、コロナで絵を描く人が増えたり。必然的に鹿児島から出られない、という部分もあると思います。

自分のイラストについて

――ところで、ヨシサコさんのイラストをみていると、うさぎさん、鹿児島、バンドマンの3つのモチーフが多く描かれています。こういったモチーフを描くに至った経緯があれば、教えてください。

まず、うさぎのキャラクターに関しては、「どうやって生んだの?」とよく聞かれます。これは、学生の頃から、ノートの落書きなんかで描いていました。今のかたちとは違うんですけど。そのキャラクターをブラッシュアップしたのが、今のうさぎさんになります。

名前もよく聞かれますが、あえて名前も性別もつけていません。普段、人と過ごしている時といっしょで、「誰」というのを限定しないほうが自分も描きやすいし、見ている人にも、いろいろ想像してもらえるかな、と思って。

twitterより転載「https://twitter.com/283__________/status/1446765351778226179/photo/1」

バンドについては、自分が趣味でバンドをやっていたからですね。実は、バンドをしつつ絵を描いている人って、鹿児島にもいたりするんですね。自分が経験しているからこそ活かせることで、バンドをやっている人から共感を得られるんじゃないかなと思って描いています。

Twitterより転載「https://twitter.com/283__________/status/1439159763544117251/photo/1」

鹿児島については、県外で活動をしていたからこそ、鹿児島の絵を描き始めたというか……もともと、鹿児島の風景の絵がSNSでは反響があって、ここ3か月くらい、スポットを当て始めました。

そのきっかけが、8月に予定されていた、SOMETHINGさんの個展です。コロナの影響で延期になってしまって、その時に「どうしよう」と思って。

Twitterより転載「https://twitter.com/283__________/status/1452568113514385411/photo/1」

対面の営業も難しくなりました。その時、SNSでの集客も手段のひとつかな、と思ったんです。SNSで母数を増やすことで、来場してくれる人も増えるのではないかと。100人見てくれて、そのうちひとりでも個展に来てくれればいい。とりあえずは2週間続けてみよう。

そこで、鹿児島とうさぎさんの絵を投稿してみると、反響も多かったんです。「地元の風景がこんなに素敵なんだと気づかせてもらいました」「鹿児島に帰れないけど帰りたくなった」「地元は嫌いだったけど、絵を見て変わった。地元を好きになれた」という感想をいただいたり。

――それはめちゃくちゃ嬉しいですね。活動した意味が、返ってきたというか。

やっぱり嬉しかったですね。イラストレーターとして仕事をしていると、誰かの役に立つことが大事だなと思います。そういった感想をもらえると、まさにそう思えて、すごく嬉しかったです。

――誰かのために、というのは、もともと考えてたんですか。それとも、描くうちに変わっていったのか。

最初は自己満足でしたね。自分の感情を絵にすることが多かった。今見たら、一人よがりなところも多い。

人のために、と考えるようになったのは、イラストレーターの仕事が増えてきてからですね。「WEBに使いたい」とか「集客したい」という目的があって、絵を頼んでくれるわけじゃないですか。だからやっぱり、「自分はそこに応えないといけないな」と。要望をヒアリングするとか、コミュニケーションにも気をつけて、意識するようになりました。

――熱いですね。とてもいい話が聞けました。

ありがとうございます(笑)

私はけっこう暗いほうで……昔は、心の闇をポップに描きたい、みたいな感じでしたね。その時の絵も、私は好きなんですけど、今見たら「ちょっと暗いな」と(笑) 昔の絵を整理していると、家族にも「ちょっと暗いね」とか言われたりもします。

エヌ&ちゃんびい 暗い……(笑)

――確かに、今のヨシサコさんの絵に、「暗い」という印象はないですね。さみしさを表現されているのかな、という絵もあるようには思いましたが。

たぶん、年齢のせいもあるんですよね。まだ29歳ですけど、経験を積んで余裕が出てきたというか、疲れたというか。昔は、人に対しての怒りとか、悔しい思いを原動力にしていたところがあったんですけど、今までで「けっこう見返せたな」と思います。そこから余裕が出てきたかな。あとは、負の感情を原動力にすること自体にも疲れてきたかな、と。

――なるほど。年齢を重ね、ご自身が成長されることで、絵もまた成長されているということですね。

はい、そうありたいですね。

イラストレーターとして、バンドマンとして

――ヨシサコさんは、学生の頃から現在までバンドをされているということですが、バンドをはじめたきっかけがあったんでしょうか?

昔から、音楽が好きだったんですよね。もともと、両親が聴いていたJ-POPを聴いていたんですけど、ある時、GOING STEADYというバンドを知りました。たぶん、クラスメイトが持ってきたのかな。「童貞ソー・ヤング」という曲で、「世の中にはこんな音楽があるんだ!」と思いました。TSUTAYAでお金はたいて、いろんな音楽を聴くようにになりましたね。父の趣味の関係で、ギターをはじめたり。それが高校生の頃です。

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進路を決める中で、絵もバンドもしたいな、と思いました。「美大に行きたいな」という気持ちもあったんですけど、いろんな理由で難しい。

最終的に、鹿児島大学教育学部の美術専修に通うことに決めたんですけど、そこのフォークソング同好会から、高校生の頃に観ていた人性補欠というバンドが出ていたんです。美術科の先輩もサークルにいて、学業でも音楽の面でも、安心できるなと思いました。大学生になって、本格的に音楽もはじめました。

人性補欠 – 終わらない (MV)

――バンドをすることも前提に、進路を決めたんですね。

教育学部なので、教員を目指すための学科ですが、制作も学ぶことができました。その過程で「先生になりたい」と思ったら、その道に進んでもいいかなとは思っていたんですけど……まったくならなかったですね。教育実習にも行ったんですけどね。向いてなかったです(笑)

――では、バンドと絵を続けながら、卒業後は社会人として働きはじめたんですね。

25歳まで仕事をしていたんですけど、人生のどん底に落ちることがあって、仕事も辞めてしまって。そこで自分の人生を振り返ってみた時に、自分は、高校も大学も絵の推薦入試で入っている。今までの人生は絵に救われている。絵の仕事もしてみたい、と思うようになりました。

それから4年かけて、今に至る、という感じですね。

――めちゃくちゃかっこいい人生じゃないですか。

ありがとうございます。やっと、フリーランスとして活動をはじめることができました。

実は、開業したのは今年なんです。もちろん、確定申告はしていたんですけど、勇気がなかった。それで、違う業種のフリーランスの友達に「まだ開業届出してないのか!」と言われてしまって。その次の日には開業届を出していました(笑)

――おお、背中を押してもらえてよかったですね。

付き合いの長い友人で、仕事も紹介してもらったり。その人は、バンドをやっていた頃の友達で、映像の仕事をしています。営業はあまり得意じゃないんですけど、バンドをやっていた頃の人間関係が今に繋がっています。県外のバンドのCDジャケットを描いたり。お店をやっている人のロゴとか、店内に飾る絵を描いてほしい、という依頼があったり。絵以外の繋がりから仕事のお話をいただくことも多いです。

当時は「バンドばっかりやっていて大丈夫かな」と思っていたんですけど、その頃も無駄じゃないんだなって、今になってやっと思いますね。

「絵を描くバンドマン」としての私の在り方|ヨシサコツバサ|note
こんにちは。画家・イラストレーターのヨシサコツバサ(@283__________)です。 最初の記事で自己紹介をさせて頂いたのですが、私は画家・イラストレーターとは別にバンドマンでもあります。 私は「トラニツバサ」というバンドでギターボーカルと作詞作曲を行っています(編曲はメンバー全員で行います)。私以...

――お話を聞いていると、これまで携わっていたことすべてが繋がってるんだなあと感じます。

(後編に続く)

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