さうれぽのインタビュー企画、第6弾のお相手はジオラマ・ドールハウス作家のMOCO’S ROOMさんです。迫力のあるジオラマや繊細なミニチュアを制作されています。
普段触れる機会のない人も多いと思いますが、今回のインタビューをひとつのきっかけとして、ジオラマやドールハウスの表現に興味をもっていただけたら幸いです。
イメージの湧きにくい方のために!


MOCO’S ROOMさん
プロフィール
*1978年生まれ、鹿児島県在住のジオラマ・ドールハウス作家
*鹿児島モデラーズコンベンションやART・PORTE、ナマ・イキVOICEアートマーケットにて作品の展示や販売活動を行っている。


*2021年、初の作品集『火の精のリストランテ』を刊行
各種SNS
*instagram(moco.s_room):制作過程や完成した作品等をアップされています。
*Youtube(もこずるーむ):ミニチュアの制作過程や造形の方法についての動画をアップされています。
*minne(MOCO′S ROOM):初期作品集『火の精のリストランテ』やミニチュアの販売を行っています。
*ブログ(MOCO’S ROOMのミニチュア制作日記):制作された作品の紹介を中心に、日々の出来事についてもブログ形式で語られています。
今回のインタビューはMOCO’S ROOMさんの作業部屋で行いました。「資料もたくさんあるから」とご提案いただき、ご厚意に甘える形でお邪魔しました。改めて、インタビュー場所のご提供ありがとうございました。

インタビュー本編

――(さうれぽメンバー・エヌ)MOCO’S ROOMさんに初めてお会いしたのは2018年に開催されたKTS主催のアートマーケットでした。当時、私の作った小冊子に色々な感想をいただきました。あれから3年、今日はMOCO’S ROOMさんの作品に対するこだわりや活動をはじめたきっかけ等お聞き出来ればと思います。それでは、本日はよろしくお願いします。
(MOCO`S ROOMさん、以下モコさん)よろしくお願いします。最初に質問表を貰ったんですけど、なんか面白かったです。あまり考えたことがなかったといいますか。
――ありがとうございます!そう仰っていただけると嬉しいです。
なんか、プロフェッショナルみたいだなって思いました(笑)
――そう言われると自分たちも緊張してきますね(笑) それでは、よろしくお願いします!
MOCO’S ROOMさんがミニチュアに出会うまで
――それではさっそく、簡単な自己紹介をお願いします。
はい、出身は鹿児島市になるんですけど、親が転勤族だった関係で2~3年に1度転校をしながら子供時代を過ごしました。宮崎県で暮らしていたこともあります。中学3年生の時に鹿児島市に戻ってきたんですけど、その時がちょうどハチロク水害の年で……水害で家が崩壊してしまって。受験生だったんですけど、避難所やウィークリーマンションを転々としながら高校受験の勉強をしていました。
慌ただしくも中学を卒業して、松陽高校に入学しました。美術科や音楽科もあって、色々な地域から生徒が来ていました。そういった事情もあって、生徒は地域の名前で呼ばれていましたね。当時、私は皷川町に住んでいたので「つつみ」と。だから、Twitterのアカウント名も「つつみ」なんですよね。他にも、宝島出身の子は「たからちゃん」と呼ばれていたりしました。
1/75スケールの #仙巌園 #ジオラマ です。(正門前)#部分撮りでぶち抜け pic.twitter.com/QM9dR5I5WV
— つつみ (@tsutsumien) January 25, 2022
その後、皷川町の家が水害の影響が壊れてしまって、親が池之上町にマンションを買ったんです。結婚するまでは、ずっとそのマンションで暮らしていました。
結婚してからは何度か引っ越しをしていたんですけど、今、この家が一番長いですね。家賃が安いんですよ(笑)
(その後、家賃についてしばし聞かせていただき、ちゃんびいとエヌは驚愕するのであった……)
(ちゃんびい)めちゃくちゃ良い物件ですね(笑)
――ちょうど、来る途中、ちゃんびいと「アパマンを借りるより一軒家を借りた方がいいんじゃないか」と話をしていましたが、「まさに!」という話ですね(笑)
社会人時代
――短大を卒業されてからは会社員としてお勤めされていたようですが、結構ハードな環境であったと聞いています。
子どもながらにいろいろ苦労しましたが、あまりめげることなく22歳くらいまでは生きていましたね。
――なるほど、22歳というと、社会に出たり、働き始めた職場でそれなりの責任を負うような立場になってきますよね。
そうなんです。仕事がすごく忙しかったんです。繁忙期には夜中の2時まで働くこともあって。6人いた部署が人員削減もあって、仕事量は変わらないまま、部長と私のふたりになってしまって。
私もあまり「NO」と言える方ではなかったので、仕事がどんどん大変になって、疲れてしまって。「どうしてその仕事を始めたのか」と考えた時に、とりあえず就職してしまったのが良くなかった、と思った。もうちょっと、自分がやりたいことをした方が良かったのかな、って。
――6人がふたりって、半分以下ですもんね。それは仕事も増えちゃいますよね……
短い目標に対しては頑張れるんだけど……その会社では、やってもやっても仕事があって、うんざりしちゃって。もうちょっと、誰かといっしょに協力して出来ればよかったな、と思いますね。そのあと、異動になって、けっこう和気あいあいとやれるようになったんだけど、その時はもう手遅れでした。どうも調子が悪い。「今だったらうまくやれたのかな」とも考えちゃいますけどね。
ただ、ずっと続けていたら、今の人生にはたどり着かなかったかな。今のほうが、ずいぶん楽しい。もし続けていたら、今の旦那とも会ってないし、たぶん結婚もしてないのかなって(笑)
当時は大変だったけど、結果としては良かったですね。
――今に繋がっていると思えるわけですね。
私は身体が強くはないので、わりと体調を崩していて、当時の会社の人たちにはけっこう迷惑をかけていました。だから、あまりよくは思われてないかも。
――そうでしょうか。
周りの人からは「ひとりで抱えすぎる」とよく言われますね。そういう性質であったら逆に、「なにか一人でできることはないかな」と考えてみたり。
(ちゃんびい)そういった繊細さがミニチュア制作にも活きているんだろうなと思いながら、今、「お話を聞いていました。

仕事の時は、そこまでやらなくていいんじゃない、ということをよく言われていたんです。それが悪い、とかではなくて、適当にやったほうがいい時ってあるじゃないですか。そういう力の入れ加減が、当時はあんまり分かっていなかったんです。
「そういう性格を押しつぶして社会で生きていくのか?」と考えたとき、「逆に自分のそういう性格を活かせる仕事や生活があればいいな」とはずっと思っていましたね。ただ最近は、PTAみたいな行事は適当な力加減で出来るようになったのかな。
(ちゃんびい)皆さんそうだと思いますよ。「適当」が脈々と受け継がれいていると思います(笑)
――PTAに本気で取り組んだら大変ですもんね。
でもそれも、私が、ミニチュアを本業にしている、というのがあるのかもしれないです。ミニチュアをしていなかったら、PTAに全力で取り組んでいたのかもしれないです(笑)
――それは怖い話ですね(笑)
だから、いろんなことから気をそらせるという意味でも、やってて良かったことなんだなって思います。
(ちゃんびい)いずれはPTAの現場をミニチュアで表現したり、その経験が活きてくるのではないでしょうか。学校の机とか並べて。
その話を聞いて、今、思い出したんですけど、河童モルヒネさんという方が「なんだそれ、っていうようなイベントも、もっとみんなやればいいのに」といった内容のツイートをしていて。

PTAって言ってましたけど、それってパっと見ではつまらなそうでしょ(笑)
でも仙厳園とか、今、制作を進めているアトリエ ニコさんを作ると、周囲から「すごい」と言われるかもしれない。でも、たとえば軍艦島とか、廃墟みたいな場所のように、あまり人が足を運ばないような場所を作るのはひとつの夢ですね。
どの程度の反響があるのかも分からないし、ああいうものを作るのは難しいんですけど。周りの人から「なんだそれ」と言われながらも、自分だけは「これは良いものだ」と思いながら作っていきたいです。

ミニチュアをはじめたきっかけ
――仕事をお辞めになられて少し経った頃にミニチュアと出会い、活動を続けていると、別のインタビューでお聞きしました。仕事を辞められてからはどのように過ごされていたんですか?

最初の仕事を終えた後は、パートの仕事をしていました。民間ではなく、鹿児島大学の臨時職員をしていたりしましたね。そこは平和で、お腹が大きくなるまで働いていました。
辞めた頃は、毎日なんとなく過ごしていましたね。ときどき、テンパークでぼーっとしたりしながら。
――ミニチュアと出会ったきっかけはどこにあったんですか?
ある日、いつものように、ぼーっとしようと思ってテンパークにいたんですね。そしたら、その日はイベントが開かれていたんです。なんだろうと思って覗いてみると、「こねこねランド」さんが子どもたちに粘土教室を開催していたんです。

子どもたちが真剣に、楽しそうに粘土を作っているのを見て、私もふらっと参加したところ、粘土作りの虜になってしまいました。そうして、今に至るまで制作を続けています。
――なるほど、粘土、ミニチュアと出会ったのは偶然だったんですね。ちょっと、嫌な質問かもしれませんが、たとえばこれが書道や絵画の教室だったら、その方面で活動されていたと思いますか?
学生の頃は美術部だったし、昔からものを作るのは好きでした。それでも本格的に絵を描いていこうとは思っていなくて。粘土を続けているのも……こねこねランドさんがどんどん作っていくのがそれだけすごかったんですかね(笑)
でもやっぱり、たまたまテンパークにこねこねランドさんがいたからですよ。その時、書道教室が開かれていたら、書道をしてたかも(笑)
(ちゃんびい)なるほど。
――じゃあ、本当の本当に偶然なんですね(笑)
そう、あの時テンパークにいたことが、今に繋がっています。
(ちゃんびい)美術部ってことは、もともと絵はお好きだったんですか?
好きでしたね。大人になってから描くこともあったんですけど、あんまり楽しめなかったです。性格的に、多くの人がやっていることに取り組むのが退屈だったりもして。一時期は、絵も描いていたんですけど。あとは、ミニチュアは、SNSに出した時の反応が良かったというのもありますね。

本格的な活動を開始
――粘土教室に通っていた最初の頃は、どういった作品を作っていたんですか。
初めは、実物大でケーキなどを作って、趣味として楽しんでいたんですけど、NHKで「nunu`s house」の田中智さんのインタビューを見て、初めて「ミニチュアの世界」を知り、繊細で緻密な小さくリアルな世界に惹かれました。田中さんの影響で、私も1/12スケールのミニチュア制作に取り組むきっかけとなり、2004年、26歳の時に「MOCO`S ROOM」という屋号でミニチュアの制作と販売を始めました。
――今のスタイルが確立されたのはその頃(26歳頃)だったということですね。
26歳から本格始動とは言いつつも、仕事をしながら、趣味・兼業として作ってる感じでしたね。
27歳まではヤフオクとかで販売をしながら活動していました。当時は作る人も少なくて、珍しかったんですよね。当時は今と比べて下手だったんですけど、けっこう買ってもらっていました。すごい人は小さなミニチュアでも数万単位で売られていたり。
いろいろな状況が重なったこともあって、ミニチュア一本での活動になったのは2018年頃からでした。SNSでの宣伝も同じ時期にはじめました。
――私がはじめてモコさんの出展を見たのが、2019年のアートマだったと思うんですけど、ちょうどあの頃が活動の転換期だったんですね。
そうそう。2018年もアートマには出ていたんですけど、その時はまだ販売中心です。1つ3,000円くらいでミニチュアを並べて、アミュ広場にハンドメイド作品として出展していました。
ただ、売ってしまうと自分の手元には残らない。作ったものは、買った人しか見ることが出来ないんですね。いろんな人に見てもらいたいと思っても、自分の手元にないと難しい。だから、もっとたくさんの人に見てもらいたいなっていうのがあって。
でも小さいのじゃほら、分かりにくいでしょ。大きなものを作ろう、人にみせる為の作品を作ろう、と創作のスタンスを切り替えたのが2019年でした。
――なるほどですね。
何かこうね、売るのも楽しいんだけど、少しでも多くの人に知ってもらえたらなって。鹿児島でドールハウスを作っている人も、昔はいらっしゃったんですけど、最近はあまりお見かけしないので。この部屋にもたくさん箱があるんですけど、作品を売らずにとっているんです。いつかは個展をしたい、というのもあって。あと、ギャラリーってエレベーターがある場所が少ないんですよね(笑)
――確かに、あまり見ない気がします。
うちの母が「エレベーターのある場所じゃないと行かない」と言っていて(笑) 良い場所があればなあ。
さまざまな展示会への参加
霧島に、マルタカヤ模型さんってプラモデルのお店があるんですね。店長の岩重さんはモデリングの雑誌にも投稿されたりしている、有名な方です。
――なるほど。実際に模型をはじめてから通い始めたんですか?

そうですね。霧島にあるのであまり行けてないんだけど。仙厳園を作る時もすごくお世話になっています。「これを作りたい、どうしたらよいか」って聞いたら、すべてのアンサーが返ってきたから。
仙厳園のベースは断熱材になっているんですけど、そういうのを教えてくれたりして。ジオラマに関してはすごく詳しい方です。なんでも教えてくれる。ジオラマの教室も開くんだけど、お金は取らないんですよ。店長の岩重さんのポリシーなのかな。


――分からないところを聞ける師匠がいるのは有難いですね。
有難いですね。細かいところの作り方は、ネットとかSNSを見ても、わかりづらいので。
その岩重さんに「もっと外に出た方がいいよ」と言われたのが、活動の方向性を変えるきっかけでした。そこから。モデラーズコンベンションに参加させてもらったりもして。出店してみたら、意外とメディアの方にも取り上げてもらえたんですね。「こんなに反響があるんだ」ってびっくりしました。
それまでは、常にひとりで作って販売をしていましたが、たくさんの方と協力してひとつの展示会をすることで、迫力のある空間づくりが出来るし、たくさんの出会いもあります。自分自身の成長にも繋がっています。

今は、古賀星羅さんが代表をされているART・PORTEの企画展にも参加させてもらっています。様々な分野の作家さんがいるので色んな方面からの刺激を受けています。それによって、自分の作品への向き合い方も変わっている気がします。

――自分でいろんな場所に足を運びながら、模型だけでなく、美術の分野でも活動の幅を広げてらっしゃるんですね。活動的ですごいなと思います。
MOCO’S ROOMさんの多彩な一面とミニチュアへの影響
――先ほどの話の中で、もともと創作がお好きだという話がありましたが、ミニチュア以外にも何か創作されたりしているんですか?
今は書いていないんですけど、以前に少しだけ、詩を書いていたことがありました。ミニチュアだけでは視野が狭いかなと思って。
書いていく中で、詩を書くことってどういうことなのかな、って考えたりもして。小学校の時に教科書で読むのとはまた違うんですよね。独特というか。
――特別に難しい言葉が使われているという訳ではないんですけど、詩を読むのは難しいですよね。独特の感性が必要というか。
詩集も一冊だけ買ってみたんです。森山直太朗さんの作詞をされている御徒町凧さんという方の詩集で。この人の詩、訳が分からなくて好きなんですよね。

――訳が分からなくて好き、という感覚よく分かります(笑) その不思議さを楽しむ、とでもいいますか。詩を書いたのは、その時が初めてだったんですか?
小学5年生の時の先生が授業でたくさん詩を書かせる人で、その時はたくさん書いていましたね。当時は宮崎にいたんですけど、「小さな芽」(現在は宮崎文芸)というコーナーが新聞にあったんです。子どもたちの書いた作品を乗せる欄なんですけど、そこに「川」という詩で一度だけ載ったことがありました。
(ちゃんびい)詩とか俳句をたくさん書かせる先生、たまにいますよね(笑)
そうなんですよ(笑) 詩を書く知り合いが、音楽を聴きながらイメージを膨らませて書く、という話をしていたんですけど、私にはそういった書き方は難しくて。私はコラージュのような、いろいろな言葉をつなぎ合わせていくのは好きなんですけど、あるイメージを自分の中で言葉にして書くということは出来なくて。詩を書く人たちはすごいなって思いますね、想像力がすごく必要なんだなって。
絵とかは色がついていて、人の目を惹くじゃないですか。詩を読むとなると、最近は文章をみるのが苦手だという人も多かったりするし、一目で見て分かるものを好む人が多いと思うんですよね。
――詩のようなものはなかなか好まれづらいということですね。
そうですね。だから、詩を書き続けて詩集を出すのは大変ですよね。モチベーションを保ちながら書き続けるのはすごいなと思います。
――何篇もの詩を書いて、ようやく一冊の本になる訳ですから、時間もけっこうかかりそうですよね。
仙厳園のジオラマを作っている時は、詩の投稿サイトにも関わりながら制作を進めていました。ただ制作をするだけではなく、実際に現地を歩いてみて「昼はこういう日差しが来る」とかって情景も意識していました。サイトに投稿されている詩からも新しい視点を得られたりと、参考にさせてもらいました。
――ミニチュア以外の創作活動がミニチュアの活動にも活きているんですね。
あとは服を作ったりするのも好きなんですよね。子どもの七五三のスーツも自分で作っていたりしました。

――それはすごい。
本当は服を作ったりするのも好きなんですけど、今は暇さえあればミニチュアの制作をしています。不思議ですよね、本当はミニチュアも趣味ではじめたはずなのに、たまに億劫な時がある。
――大事なことほど後手に回したりしますよね。自分も経験があります。

ドールハウスの空間作りに関して
――制作されたミニチュア・ドールハウスを見ていると、雰囲気のある飲食店やカフェ、といった印象を受けます。この辺りの趣向には、自身の好みが反映されているのでしょうか。
昔はカフェ巡りなんかもしていて、カフェ巡りの為に東京に行っていたりもしました。カフェの雰囲気が好きなんだと思います。今も通っているのが、天文館のコムオシエルさん。高校の時から通っていて、当時は別の名前で城山町にありました。
お店の隣には「YANO CAKE TEN MOKU」(以下、ヤノケーキ)というケーキ屋さんがあって、当時のコムオシエルではヤノケーキさんのケーキが使われたりしていて。
私が高校生だった頃から通っていて、今も営業しているのは、この2店舗だけなんですよね。場所が変わったりもしていますけど、高校の頃から今に至るまで通っていますね。
――ミニチュアでもお店などの空間づくりに目を向けていらっしゃるのは、カフェのような空間が好きだからというのもあるのでしょうか。
そうですね、そういう影響はありますね。

――自分で好きな空間を作ることが出来るというのはかなり羨ましいことですよね。
最近一番ハマっているのは中町にある「Favori」という、全品が110円のパン屋さんです。種類が豊富でとても美味しく、よく買っています。
あとは、ギャラリーを巡るのも好きですね。Gallery POLANCAさんやShop&Gallery Somethingさん。それから鹿児島市立美術館や長島美術館も。
他のギャラリーも訪ねてみたいのですが、今はなかなか時間がなくて難しいです。
――喫茶店やギャラリーのような空間がお好きで、その好きな空間を自分のミニチュアで表現する。夢のようなお話です。
(後編へ続く)
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