鹿児島のとある中学校に通っていた思い出〜校則についての記事を読んで

こんにちは。さうれぽメンバーのちゃんびいです。

先日、こちらのニュースが話題となりました。

ポニーテール禁止なぜ? 質問に担任は答えた 「男子がうなじに興奮するから」 16歳女子生徒は思う 「校則つくった人の感覚おかしい」 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
 校則でポニーテールが禁止されているのはなぜだろう-。鹿児島市の高校に通う女子生徒(16)は中学時代、担任の女性教員に尋ねた。「男子がうなじに興奮するから」との答え。「男子にも女子にも失礼。本当にそうなら最初にこの校則を定めた人の感覚がおかしい」と違和感を口にする。

鹿児島市の高校に通う女子生徒が、中学時代、担任の女性教員に「ポニーテールが禁止されているのはなぜ?」と尋ねたところ、「男子がうなじに興奮するから」と答えられた際の違和感を切り口に、県議会の質疑や、県内の中学校の実際の取り組みを取り上げ、「ブラック校則」などと話題になる「校則」というものについて投げかける記事でした。

こちらを読んで思い出したことがあったので、書いてみたいと思います。

メモ帳すら没収された持ち物検査

私の通っていた鹿児島県内の中学校は、「厳しい」学校でした。

これは個人的な印象のみならず、同じ中学校の後輩であるエヌ(さうれぽメンバー)もふくめ、多くの卒業生が実感されていたのではないかと思います。

頭髪検査や服装検査も神経質なくらいに厳しかったのですが、校則というよりは、指導方法、逸脱を許さない風潮など、全体的に張り詰めた雰囲気が息苦しかったように感じます。

私が一年生の一学期、持ち物検査がありました。

ある日突然、カバンを机の上に置くように言われ、ひとりずつ、担任の教師に中身を点検されました。

私はメモ帳を一時的に没収されました。当時好きだったプロ野球選手の写真の入ったメモ帳です。理由は、「手紙を交換する生徒がいるから」だそうです。私は心配性なので、なにか忘れてはいけないことをメモしようと思っていたのですが(今でも紙に手書きでメモするタイプです)、それは下校前に返却される「生活の記録」という時間割を書く冊子にメモすればいい、というのが教師の言い分でした。

文房具のはさみを没収されている生徒もいました。メモ帳は数日後、返却されましたが、二度と学校へ持って行くことはできませんでした。

静かな学校に響く教師の怒鳴り声

当時、三分前着席・一分前黙想というシステムがありました。落ち着いて授業を受けるため、授業の三分前にはみんな席に着き、一分前には黙想しようという決まりです。刑務所みたいなものです。

そんなしんとした校内に、たまに、「オラア!」と、怒鳴り声が響きます。

どこかの教室で、教師が生徒をどやしつけている声です。当然、耳にするとびくっとします。大声を上げて何やってるんだろう、と思っていましたが、怖がる生徒も普通にいたと思います。たまに上がるそういう怒鳴り声を、みんな暗黙の了解として聞き流していました。

思春期の朝のあいさつ運動

「あいさつ運動」という活動がありました。クラス持ち回りで、他の生徒より早く登校して校門の前に立ち、登校した生徒に「おはようございます」と声を出してあいさつするという、まあ何のためにやっているのかよくわからない取り組みです。

「あいさつ日本一」という、計測したわけでもない、誰が決めたのかもわからない言ったもの勝ちの「日本一」を自称し、元気に「おはようございます」と声を張り上げるわけですが、多感な時期にそんな営業マンみたいなこと強制するなよと今となっては思います。

体育館の床を「揺らす」ための異常な「起立」

卒業式の練習では、「起立するタイミング」を異常なほど厳しく仕込まれました。

「起立」のかけ声で、生徒が一斉に立ちます。このとき、全員がぴったり合ったタイミングでパイプ椅子から立ち上がると、瞬時に大きな力が加わり、古い体育館の床が揺れます。タイミングがばらばらだと、床は揺れません。

「床を揺らそう」というのが、教師から私たちに与えられた至上命題でした。床が揺れる構造上の危険性はおかまいなしです。「保護者の方々を驚かせよう」と言われました。私たちは床を揺らすため、必要以上に力を込めて踏ん張って立ち上がったりもしました。

本番の一発目の起立、タイミングがぴったり合って床が揺れると、保護者がざわつきます。驚くのではなく、若干引いている人もいることでしょう。いま思えばばかばかしいのですが、全体がきれいにそろって床が揺れてリアクションをもらえると、妙に気持ちよかったりするのです。こんなふうに人間は支配されゆくのだと思います。

体育が苦手なのに体育委員長を強制される

二年生の頃、私は「体育委員長」に指名されました。

専門委員会という組織があります。生徒会と似たような組織です。学校の運営業務に生徒が取り組むという名目で、実際は教員の下請けのような業務を任されます。他には厚生委員会、図書委員会などがあります。

ある日突然呼び出され、「体育委員長をやるように」と言われました。当時、私は陸上部で本格的に走っていたため、目立っており、この役職にふさわしいと思われたのでしょう。

しかし実際のところ、私は足が速いだけで、体育は大の苦手でした。ドッジボールは逃げてばかりでした。クラスマッチのソフトボールではヘタクソすぎて打席が一度も回ってきませんでした。水泳の授業では泳ぐのが遅すぎてクラスでビリ、女子にも負けるくらいでした。柔道では遠慮してうまく組みあうこともできませんでした。

体育の時間は苦痛でした。(陸上部には意外とこういう人がいると思います。本当に運動神経が良くて野球やサッカーが得意なら、普通は野球やサッカーをやるのです)

そんなやつに「体育委員長をやれ」と言うのです。私は当然、「いやです」と拒否しました。すると「拒否することはできない」と言われました。おとなしい私にしてはかなり反発し、やりたくないとごねたのですが、「オラア!」のはびこる学校ですから、逆らうのが怖くなり、結局引き受けることとなりました。

適性のない、本人もやりたくないと言っている活動を、どうして無理やりやらせるのでしょうか。

誰が・何が雰囲気を決めるのか

2000年代半ば、鹿児島の田舎の、息苦しい雰囲気の学校で過ごした時期を振り返り、あらためて思うのは、「誰が・何があの雰囲気を決めていたのか」ということです。

決まりがたくさんありました。マフラー禁止・通学中、横断歩道は自転車から降りて歩く・ゲームコーナーやカラオケは保護者同伴、などなど。

かつては荒れていたという学校の雰囲気を整えるため、「厳しさ」をもって管理することそのものについての是非はさておき。問題は、「厳しさ」しかなかったことだと思います。厳しく引き締め、それでうまくいかなければさらに厳しくする、その繰り返しの指導しかできないから、重苦しい雰囲気だけが雪だるま式に膨れ上がっていく。

だから、誰が、何が、あの雰囲気を決めていたというより、そこにいた全員の手に負えない醜悪な流れがあったのではないかと思います。

教育とは本来、自分や他人を厳しく律してもうまくいかなかったとき、努力しても転んでしまったときに立ち直る方法を身につけてもらうための試みではないでしょうか。

それはつまり、校則ひとつ、習わしひとつ、教師の言葉ひとつについて、きちんと立ち止まって考える力そのものでもあると思いますが、私はそれをこの中学校では身につけることができませんでした。

ただ、怖かったのです。

怒鳴りつける教師や有無を言わせぬ雰囲気が怖いから、道を外れないようむやみに頑張り、ときには周囲にそれを強要していました。

今となっては、そういうふうに過ごしてしまったことを、後悔しています。

(ちゃんびい)

コメント

タイトルとURLをコピーしました